「神仏無量寿経」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
 
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[[ファイル:第67巻神仏無量寿経p78(初版).jpg|thumb|「神仏無量寿経」の最後。大正15年(1926年)8月19日発行の'''初版'''の78頁。]]
[[ファイル:第67巻神仏無量寿経(再版)p77-78.jpg|thumb|昭和6年(1931年)7月15日発行の再版の77~78頁。大正15年(1926年)8月19日発行の初版も文字数・行数のレイアウトは同じである。]]
[[ファイル:第67巻神仏無量寿経p78(再版).jpg|thumb|昭和6年(1931年)7月15日発行の'''再版'''の78頁。(文字数・行数など初版とレイアウトは同じ)]]


'''神仏無量寿経'''(しんぶつむりょうじゅきょう)とは、[[霊界物語]]{{rm|67|5|浪の皷}}の中に出て来る経文。[[出口王仁三郎]]が自分が昇天する年月日を予言したものだと言われている。
'''神仏無量寿経'''(しんぶつむりょうじゅきょう)とは、[[霊界物語]]{{rm|67|5|浪の皷}}の中に出て来る経文。[[出口王仁三郎]]が自分が昇天する年月日を予言したものだと言われている。


== 概要 ==
== 概要 ==
神仏無量寿経は印刷本の頁で6頁ほどに亘って綴られている。初版及び再版(戦前発行されたのはこの2版だけだと思われる)の73頁の最初から78頁の2行目まで、5頁と2行ある。77頁の6行目、下から5文字目に〈瑞霊世を去りて後〉という文言があり、王仁三郎(瑞霊)の昇天を示唆している。そして'''78'''頁は〈惟神霊幸倍坐世。伊都能売の大神 謹請再拝〉という'''18'''文字で終わっている(句読点や空白を除く)。
{{rm|67|5|浪の皷}}は大正13年(1924年)12月27日(旧12月2日)に口述された。昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)に昇天する約23年前である。
 
神仏無量寿経は6頁ほどに亘って綴られている。初版及び再版(戦前発行されたのはこの2版だけだと思われる)の73頁の最初から78頁の2行目まで、5頁と2行ある。77頁の6行目、下から5文字目に〈瑞霊世を去りて後〉という文言があり、王仁三郎(瑞霊)の昇天を示唆している。そして'''78'''頁は〈惟神霊幸倍坐世。伊都能売の大神 謹請再拝〉という'''18'''文字で終わっている(句読点や空白を除く)。


これは王仁三郎が数え年'''78'''歳<ref>王仁三郎は明治4年(1871年)7月12日生まれなので、数え年78歳で昇天したことになる。</ref>の'''18'''日まで現界にいて、19日目に霊界に去るという予言であると解されている。またその頁(78頁)の最後の文字は「'''子'''」であるが、昇天した昭和23年は'''子'''年である。<ref>『新月の光』1284「七十八歳一月十九日昇天の啓示」:ここで木庭が見たのは「再版」だが、初版でも同じである。(画像参照)</ref> <ref>[[出口和明]]『[[予言と神話]]』22頁</ref>
これは王仁三郎が数え年'''78'''歳<ref>王仁三郎は明治4年(1871年)7月12日生まれなので、数え年78歳で昇天したことになる。</ref>の'''18'''日まで現界にいて、19日目に霊界に去るという予言であると解されている。またその頁(78頁)の最後の文字は「'''子'''」であるが、昇天した昭和23年は'''子'''年である。<ref>『新月の光』1284「七十八歳一月十九日昇天の啓示」:ここで木庭が見たのは「再版」だが、初版でも同じである。(画像参照)</ref> <ref>[[出口和明]]『[[予言と神話]]』22頁</ref>

2025年3月30日 (日) 07:37時点における最新版

昭和6年(1931年)7月15日発行の再版の77~78頁。大正15年(1926年)8月19日発行の初版も文字数・行数のレイアウトは同じである。

神仏無量寿経(しんぶつむりょうじゅきょう)とは、霊界物語第67巻第5章浪の皷#の中に出て来る経文。出口王仁三郎が自分が昇天する年月日を予言したものだと言われている。

概要

第67巻第5章浪の皷#は大正13年(1924年)12月27日(旧12月2日)に口述された。昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)に昇天する約23年前である。

神仏無量寿経は6頁ほどに亘って綴られている。初版及び再版(戦前発行されたのはこの2版だけだと思われる)の73頁の最初から78頁の2行目まで、5頁と2行ある。77頁の6行目、下から5文字目に〈瑞霊世を去りて後〉という文言があり、王仁三郎(瑞霊)の昇天を示唆している。そして78頁は〈惟神霊幸倍坐世。伊都能売の大神 謹請再拝〉という18文字で終わっている(句読点や空白を除く)。

これは王仁三郎が数え年78[1]18日まで現界にいて、19日目に霊界に去るという予言であると解されている。またその頁(78頁)の最後の文字は「」であるが、昇天した昭和23年は年である。[2] [3]

また、〈瑞霊世を去りて〉という文言は、神仏無量寿経の5頁目の6行目であり、その行を含めて7行目で終わりとなる。

外部リンク

脚注

  1. 王仁三郎は明治4年(1871年)7月12日生まれなので、数え年78歳で昇天したことになる。
  2. 『新月の光』1284「七十八歳一月十九日昇天の啓示」:ここで木庭が見たのは「再版」だが、初版でも同じである。(画像参照)
  3. 出口和明予言と神話』22頁