「国見山」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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「国見」とは「国の形成を高所か望み見ること」〔広辞苑〕。
 
「国見」とは「国の形成を高所か望み見ること」〔広辞苑〕。
  
霊界物語には{{rm|nm|17|明暗交々}}に1回だけ出て来るが、舞鶴の国見山ではなく、地勢を見渡せる場所という一般名詞だと思われる。「日出雄は温長興、岡崎鉄首と倶に'''国見山'''に登らむとした時」
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== 霊界物語の国見山 ==
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霊界物語には{{rm|nm|17|明暗交々}}に1回だけ出て来るが、舞鶴の国見山ではなく、地勢を見渡せる場所を指す普通名詞だと思われる。「日出雄は温長興、岡崎鉄首と倶に'''国見山'''に登らむとした時」
  
 
== 参考文献 ==
 
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*[[沓島・冠島開き]]
 
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2018年5月12日 (土) 00:55時点における最新版

国見山(くにみやま)は、京都府舞鶴市瀬崎にある山で、沓島・冠島の遥拝所がある。

昭和21年(1946年)4月3日、出口王仁三郎澄子夫妻は、舞鶴の大丹生支部を巡教に訪れた際に、小高い丘に登り、沓島・冠島を遙拝した。このとき王仁三郎は山を「国見山」、登り坂を「国見坂」と命名した。

以降、ここを遥拝所として、毎年7月8日(6月8日のときもあった)に国見山から沓島・冠島遥拝祭を行なっている。

瀬崎在住の富永喜太郎が国見山の山林約1042坪を管財局から払い下げを受け、それを大本へ寄付をし、昭和32年(1957年)に登記を行なった。[1]

「国見」とは「国の形成を高所か望み見ること」〔広辞苑〕。

霊界物語の国見山

霊界物語には入蒙記第17章明暗交々#に1回だけ出て来るが、舞鶴の国見山ではなく、地勢を見渡せる場所を指す普通名詞だと思われる。「日出雄は温長興、岡崎鉄首と倶に国見山に登らむとした時」

参考文献

脚注

  • ^ 登記が行なわれた具体的な月日は、七十年史の上巻257頁には4月18日に「登記をした」、下巻1090頁には5月10日に「登記をおえた」と書いてある。

関連項目