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天明山別院

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* 大正12年(1923年)8月5日、天明山別院の神殿落成鎮座祭執行。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 大正14年(1925年)2月24日、天明山を[[地恩郷]]と命名する。<ref>「[[大本年表]]」:「河内の天明山を地恩郷と命名さる」</ref>
 
『[[大本大阪本苑八十年誌]]』に天明山別院設立の経緯が記されている。
 
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 大正四年頃、聖師さまは枚岡神社での参拝の折に霊眼に櫟原山<ref>櫟原(いちはら)は奈良県生駒郡平群町内の地名。</ref>の底無しの池を見られ、これの調査を命じられた。八方手をつくしてもその所在地は分からなかったが、その後大阪の田中元七と名乗る人物が聖師さまに山の寄進を申し出た。話によると、田中元七は家畜を飼育しようとすれば死ぬ、家を建てれば倒壊するといった災難に遭い、ついに大本への寄進がなされた。大正九年十月二十四日、聖師さまは同山を大本天明山と命名されて地鎮祭を執行。大正十一年七月十一日、幽斎修業を終えた豊本景介が同山に赴任した。同十二年八月五日、大本天明山別院として神殿落成鎮座祭が執行され、高司忠俊、木田安次郎ら当時の有力な信徒が多数参拝し奉仕している。だが、事件後は同別院は消えている。|『[[大本大阪本苑八十年誌]]』46頁}}
地鎮祭に関して『[[神霊界]]』誌に、「足跡」と題した、次のような[[王仁三郎]]の署名記事(日付は大正9年10月31日)がある。(現代仮名遣いに直した)

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