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大本に関する俗説
,編集の要約なし
* 王仁三郎は「自分はニセモノ(偽の救世主)だ」と自白している。→「[[変性女子は偽者]]」
* 沖野岩三郎『[[迷信の話]]』昭和12年(1937年)発行
** [[第二次大本事件]]当時の〈全国にひろがつてゐる信徒は六十万を算するといはれてゐる〉〔121頁〕。----信者はそんなにいない。第二次大本事件勃発の時点でおよそ2万人である。シンパ層がとても多かった。信者はそんなにいない。第二次大本事件勃発の時点で2万人弱である<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c6331|信仰の護持}}」:〈大本の場合その信者数は、事件前においてはおよそ二〇万とか三〇万といわれていた。しかし当時の記録によれば、大神奉斎と祖霊の復祭をし、そのうえ教団護持の更始会費を納入していた信者は一万七一六八人にすぎない。これを世帯単位に換算するとさらに少ない数となるのである〉</ref>。シンパ層がとても多かった。
** 〈出口なほが予言者となつた第一歩は、隣のおかみさんと口論した末、『そんな根性では、近いうちに、赤いものに見舞はれるぞ。』と言つたのに始るらしい。果して三日目にその隣家は火事になつた〉〔122頁〕。
** 上田喜三郎は〈なほの二番娘、おすみさんと結婚し、『出口なお』の『お』を貰ひ、教祖の二代目といふ意味で「二」を加へ、『おに三郎』とした。だから『わに三郎』でなく、『おに三郎』なのである〉〔122~123頁〕。