「生国魂神社」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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* [https://we-love-osaka.jp/ikutamasan/ 【大阪最古】日本の中心は浪速にあり!日本国土そのものの神を祀る生國魂神社] - 大阪の情報サイト We♥大阪
 
* [https://we-love-osaka.jp/ikutamasan/ 【大阪最古】日本の中心は浪速にあり!日本国土そのものの神を祀る生國魂神社] - 大阪の情報サイト We♥大阪
* [[https://dl.ndl.go.jp/pid/1686202/1/50 昔の生國魂神社の写真]] - 『全国官国幣社写真帖』{{ndldl|1686202}}
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* 昔の生国魂神社の写真(いずれも国立国会図書館デジタルコレクション蔵書)
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** [https://dl.ndl.go.jp/pid/765662/1/10 近畿名勝写真帖 続] - 明治34年(1901年)
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** [https://dl.ndl.go.jp/pid/762376/1/67 日本写真帖] - 明治45年(1912年)
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** [https://dl.ndl.go.jp/pid/967923/1/9 市内各神社写真帖 : 大大阪記念] - 大正15年(1926年)
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** [https://dl.ndl.go.jp/pid/1686202/1/50 全国官国幣社写真帖] - 昭和12年(1937年)
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2024年6月9日 (日) 01:27時点における最新版

大阪市の生國魂神社。2017年撮影。

生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、大阪市にある神社。通称「いくたまさん」。出口王仁三郎は明治35年、大阪宣教の際にこの神社に朝夕参拝した。

概要

  • 鎮座地:大阪市天王寺区生玉町13-9
  • 主祭神:生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)
  • 旧社格:官幣大社
  • 正しい表記は「生國魂神社」。王仁三郎文献では「生魂神社」「生玉神社」と記されている場合もある。

出口王仁三郎との関わり

明治35年大阪宣教

出口王仁三郎は明治31年(1898年)春に大阪へ初めて宣教に出かけるが成果が出ずに帰郷した。明治35年(1902年)夏、二度目の大阪宣教に出た。その時、生国魂神社に朝夕参拝していたことを歌に詠んでおり、歌集『百千鳥』に収録されている[1]

  • 水煙の都の夏の夕暮をわれ生魂に神言宣りぬ
  • 浪速なる産土神の生魂社に祈れば心清しくなりぬ
  • 生魂の宮の朝をたたずめば杜のしげみに烏なくなり
  • 家鶏の声町家の軒より聞えくる生魂神社の朝の清しさ

など。

昭和8年天祥地瑞口述

生国魂神社の500メートルほど北東にあった大阪分院[2]蒼雲閣で、昭和8年(1933年)12月に天祥地瑞第77巻及び第78巻を口述している。(生国魂神社に参拝していたかどうかは不明)

昭和9年昭和神聖会

昭和9年(1934年)8月19日、大阪の中之島公会堂で昭和神聖会大阪地方本部発会式が行われ、王仁三郎は統管として臨席した。祝宴後に王仁三郎は随員十数名を伴い、生国魂神社に参拝した。[3] [4]

外部リンク

脚注

  1. 百千鳥』(昭和52年、天声社)167、179~180頁。
  2. 大阪分院は昭和7年(1932年)1月5日に西区薩摩堀西ノ町7番地に開設されたが、昭和8年(1933年)1月29日に天王寺区東高津北ノ町33番地(現・天王寺区城南寺町8番)に移転した。『大本大阪本苑八十年誌』89頁、92~93頁
  3. 大本史料集成2』収録「総本部日記#
  4. 中之島公会堂から生国魂神社まで4キロほど離れている。