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天声社社史<ref>[http://www.tenseisha.co.jp/syasi/syasi_17.html 「17,情報化時代に応えて」]</ref>によると、「人権問題が国民的課題としてクローズアップされて久しいが、教団もこれに対応して同和対策室を設置、積極的に活動を展開してきた。こうしたなかで全文献について見直し作業が行われることとなり、「霊界物語」も新たに修補版が刊行されることになった。社は昭和62年9月4日、修補版第1巻を発売した。」とある。 | 天声社社史<ref>[http://www.tenseisha.co.jp/syasi/syasi_17.html 「17,情報化時代に応えて」]</ref>によると、「人権問題が国民的課題としてクローズアップされて久しいが、教団もこれに対応して同和対策室を設置、積極的に活動を展開してきた。こうしたなかで全文献について見直し作業が行われることとなり、「霊界物語」も新たに修補版が刊行されることになった。社は昭和62年9月4日、修補版第1巻を発売した。」とある。 | ||
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+ | 修補版の編集方針分かる資料として第1巻のP324~328「修補版のあとがき」を引用する。 | ||
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+ | 修補版の刊行にあたっては、出口聖師の校正本(昭和九~十年に自ら校正された原本)を底本とし、校正本と現行本(大本教典刊行会編纂、昭和四十二年八月~同四十五年九月刊)を校合したうえで、つぎのように最小限の修補を行った。<br> | ||
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+ | 一、霊界物語が発表された大正後期~昭和初期と昭和六十年代の現在とでは、国の内外の情勢とその認識、人権問題の具体化とその発展に大きな変遷がみられ、当時の原文そのままを公刊することには種々の問題と制約がある。<br> | ||
+ | そのため、今日の社会情勢にてらして問題があると思われる箇所、ならびに現在禁句として社会に定着している用字・用語や、文脈上適当でないと思われる用字・用語については、省略・いいかえを行い、また漢字をひらかなにした。<br> | ||
+ | 今回の修補にあたっては、現行本が、発刊当時その社会情勢から判断して原本を省略した箇所については検討を加え、校正本(原本)と校合のうえ、できるかぎり復活した。また原本尊重の方針にもとづき、時代的表現で今日つかわれていない用字・用語もできるだけ用い、文脈上問題がないかぎり省略・いいかえをさけるなど、霊界物語のつぎの点を配慮して、修補を最小限にとどめた。<br> | ||
+ | (1)霊界物語は救世の経綸の教典として、瑞霊の大神の万有愛につらぬかれ、用字・用語や部分的叙述の如何にかかわらず、究極において、すべての人が救われるという精神・内容で一貫している。<br> | ||
+ | (2)全巻にわたり、時代の変遷によってかえることのできない教の本質にかかわる真理・原理・法則が、きわめて多彩な表現で説示されている。<br> | ||
+ | (3)また霊界の事象や、神代の物語として、古来の慣習・主従関係などが色こくおりこまれている。<br> | ||
+ | (4)文章の表現について 大正時代の文体、用字・用語で著され、会話体や和歌・詩の形式をはじめ、滑稽・諧謔・比喩・諺がきわめて多く用いられている。<br> | ||
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+ | 二、右のほか表記などについては、つぎのことを配慮した。<br> | ||
+ | (1)旧国名・地名について 必要なものには、巻ごとに初出の旧国名・地名の下に注記した。<br> | ||
+ | (2)漢詩・漢文について 今回新たに、ふりかな及び日本語の読み下し文を本文中に注記した。<br> | ||
+ | (3)余白歌について 重複したものははぶき、新にページに余白が生じた場合は、校正本にある余白歌を優先的に用いた。<br> | ||
+ | (4)仮名づかいについて きゆう(宮・弓)、しゆう(宗・衆)、じゆう(従・戎)、ちゆう(中・注・誅)、ぢゆう(重・住)、にゆう(乳)等は、きう、しう、じう、ちう、ぢう、にう、とした。<br> | ||
+ | それは出口聖師が、大正十五年十一月号の「神の国」誌の「筆のすさび」に、「今一つ可笑しいのは汽車の踏切りの立札である。大抵の札には(きしやにちゆういすべし)と書いた事である。学者の多い鉄道省のことだから(きしやに【ちうい】すべし)と改めて欲しいものだ」と書かれていることによったものである。<br> | ||
+ | (5)頁構成について 本文を読みやすくするため、一ページ当たりの行数と一行あたりの字数を減らした。また巻数・章数をページの数字に併記し、利用の便宜をはかった。<br> | ||
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+ | 三、出口聖師の校正本は原本として、永久に教団本部に保存される。<br> | ||
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+ | このたびの修補版の刊行にあたっては、大本教典委員会が設けられ、教学資料編纂所がその実務を担当した。漢詩・漢文については、京都大学助教授愛宕元氏の助言をいただき、修補には慎重を期して十分な調査・検討を行ったうえ、改めて三代教主の裁定をいただいたものである。<br> | ||
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+ | 昭和六十二年七月二十八日<br> | ||
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+ | 大本教典委員会<br> | ||
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+ | ! 巻章 !! 戦前の版 !! 修補版 !! 修正事項 | ||
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+ | | 第1巻第19章 || 初版p148-3行目「すると盲目(めくら)の男は」 || p135-7行目「すると盲目(まうもく)の男は」 || 「めくら」を「まうもく」に言い換え。 | ||
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+ | | 同章 || 初版p148-9行目「盲目(めくら)が眼明きの手を曳いて」 || p136-4行目「眼明きの手をひいて」 || 「盲目(めくら)が」を削除。 | ||
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+ | | 第49巻第2章 || 再版p33-1行目「斯かる盲目者(まうもくしや)は」 || p39-4行目「かかる者は」 || 「盲目」を削除。 | ||
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+ | | 第24巻第10章章題 || 初版「土人の歓迎」 || 「郷人(さとびと)の歓迎」 || 「土人」を「郷人」に言い換え。<ref>戦前の版では、第24巻と第25巻で多数「土人」という言葉が使われているが、修補版ではあらかた「郷人」に言い換えているようである。戦前の版で「土人」と並行して「郷人」という言葉も多数使われていたので、「土人」を全部「郷人」に言い換えたのではないか?</ref> | ||
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− | + | | 第27巻第9章 || 初版p190-9行目「南洋の土人が漂着して」 || p185-7行目「南洋の土民が漂着して」 || 「土人」を「土民」に言い換え。<ref>戦前の版では第27巻で多数「土人」という言葉が使われているが、修補版ではあらかた「土民」に言い換えているようである。戦前の版で第16章に1回だけ「土民」という言葉が出て来るため、それを用いたのではないか?</ref> | |
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2023年11月29日 (水) 02:41時点における最新版
修補版(しゅうほばん)とは、昭和62年(1987年)9月から平成7年(1995年)にかけて天声社が刊行した霊界物語のこと。天祥地瑞を含む81巻83冊が発刊された。天声社刊の霊界物語の現行版である。編者は「大本教典委員会」(代表 出口斎)。
概要
総ルビで、旧仮名遣い。
聖師校正本を底本にしているが、「社会情勢にてらして問題があると思われる箇所、ならびに現在禁句として社会に定着している用字・用語や、文脈上適当でないと思われる用字・用語については、省略・いいかえを行い、また漢字をひらかなに」[1]修正している。
天声社社史[2]によると、「人権問題が国民的課題としてクローズアップされて久しいが、教団もこれに対応して同和対策室を設置、積極的に活動を展開してきた。こうしたなかで全文献について見直し作業が行われることとなり、「霊界物語」も新たに修補版が刊行されることになった。社は昭和62年9月4日、修補版第1巻を発売した。」とある。
編集方針
修補版の編集方針分かる資料として第1巻のP324~328「修補版のあとがき」を引用する。
修補版のあとがき
修補版の刊行にあたっては、出口聖師の校正本(昭和九~十年に自ら校正された原本)を底本とし、校正本と現行本(大本教典刊行会編纂、昭和四十二年八月~同四十五年九月刊)を校合したうえで、つぎのように最小限の修補を行った。
一、霊界物語が発表された大正後期~昭和初期と昭和六十年代の現在とでは、国の内外の情勢とその認識、人権問題の具体化とその発展に大きな変遷がみられ、当時の原文そのままを公刊することには種々の問題と制約がある。
そのため、今日の社会情勢にてらして問題があると思われる箇所、ならびに現在禁句として社会に定着している用字・用語や、文脈上適当でないと思われる用字・用語については、省略・いいかえを行い、また漢字をひらかなにした。
今回の修補にあたっては、現行本が、発刊当時その社会情勢から判断して原本を省略した箇所については検討を加え、校正本(原本)と校合のうえ、できるかぎり復活した。また原本尊重の方針にもとづき、時代的表現で今日つかわれていない用字・用語もできるだけ用い、文脈上問題がないかぎり省略・いいかえをさけるなど、霊界物語のつぎの点を配慮して、修補を最小限にとどめた。
(1)霊界物語は救世の経綸の教典として、瑞霊の大神の万有愛につらぬかれ、用字・用語や部分的叙述の如何にかかわらず、究極において、すべての人が救われるという精神・内容で一貫している。
(2)全巻にわたり、時代の変遷によってかえることのできない教の本質にかかわる真理・原理・法則が、きわめて多彩な表現で説示されている。
(3)また霊界の事象や、神代の物語として、古来の慣習・主従関係などが色こくおりこまれている。
(4)文章の表現について 大正時代の文体、用字・用語で著され、会話体や和歌・詩の形式をはじめ、滑稽・諧謔・比喩・諺がきわめて多く用いられている。
二、右のほか表記などについては、つぎのことを配慮した。
(1)旧国名・地名について 必要なものには、巻ごとに初出の旧国名・地名の下に注記した。
(2)漢詩・漢文について 今回新たに、ふりかな及び日本語の読み下し文を本文中に注記した。
(3)余白歌について 重複したものははぶき、新にページに余白が生じた場合は、校正本にある余白歌を優先的に用いた。
(4)仮名づかいについて きゆう(宮・弓)、しゆう(宗・衆)、じゆう(従・戎)、ちゆう(中・注・誅)、ぢゆう(重・住)、にゆう(乳)等は、きう、しう、じう、ちう、ぢう、にう、とした。
それは出口聖師が、大正十五年十一月号の「神の国」誌の「筆のすさび」に、「今一つ可笑しいのは汽車の踏切りの立札である。大抵の札には(きしやにちゆういすべし)と書いた事である。学者の多い鉄道省のことだから(きしやに【ちうい】すべし)と改めて欲しいものだ」と書かれていることによったものである。
(5)頁構成について 本文を読みやすくするため、一ページ当たりの行数と一行あたりの字数を減らした。また巻数・章数をページの数字に併記し、利用の便宜をはかった。
三、出口聖師の校正本は原本として、永久に教団本部に保存される。
このたびの修補版の刊行にあたっては、大本教典委員会が設けられ、教学資料編纂所がその実務を担当した。漢詩・漢文については、京都大学助教授愛宕元氏の助言をいただき、修補には慎重を期して十分な調査・検討を行ったうえ、改めて三代教主の裁定をいただいたものである。
昭和六十二年七月二十八日
大本教典委員会
修正例
PC(ポリティカル・コレクトネス)が施されている例。
巻章 | 戦前の版 | 修補版 | 修正事項 |
---|---|---|---|
第1巻第19章 | 初版p148-3行目「すると盲目(めくら)の男は」 | p135-7行目「すると盲目(まうもく)の男は」 | 「めくら」を「まうもく」に言い換え。 |
同章 | 初版p148-9行目「盲目(めくら)が眼明きの手を曳いて」 | p136-4行目「眼明きの手をひいて」 | 「盲目(めくら)が」を削除。 |
第49巻第2章 | 再版p33-1行目「斯かる盲目者(まうもくしや)は」 | p39-4行目「かかる者は」 | 「盲目」を削除。 |
第24巻第10章章題 | 初版「土人の歓迎」 | 「郷人(さとびと)の歓迎」 | 「土人」を「郷人」に言い換え。[3] |
第27巻第9章 | 初版p190-9行目「南洋の土人が漂着して」 | p185-7行目「南洋の土民が漂着して」 | 「土人」を「土民」に言い換え。[4] |
第24巻第2章 | 初版p51-5行目「黒ン坊の一人は驚いて」 | p51-8行目「島人の一人は驚いて」 | 「黒ン坊」を「島人」に言い換え。 |
脚注
- ↑ 第1巻「修補版のあとがき」
- ↑ 「17,情報化時代に応えて」
- ↑ 戦前の版では、第24巻と第25巻で多数「土人」という言葉が使われているが、修補版ではあらかた「郷人」に言い換えているようである。戦前の版で「土人」と並行して「郷人」という言葉も多数使われていたので、「土人」を全部「郷人」に言い換えたのではないか?
- ↑ 戦前の版では第27巻で多数「土人」という言葉が使われているが、修補版ではあらかた「土民」に言い換えているようである。戦前の版で第16章に1回だけ「土民」という言葉が出て来るため、それを用いたのではないか?
関連項目
- 霊界物語の諸本:諸本の一覧