「上田吉松」の版間の差分
Jump to navigation
Jump to search
↑ 『出口王仁三郎著作集 第一巻』p.59「其次が上田吉(よし)松で」(「よし」だけフリガナが付いている)ただし原本(写本)にフリガナが付いていたとは思えないので、編者が付けたのだと思われる。
↑ 大本神諭には「吉松」は出ない。伊都能売神諭には次の1回だけ「吉松」が出る。「伊都能売神諭伊都能売神諭 大正7年12月26日#」『神霊界』大正8年(1919年)1月1日号p.17 2行目
↑ 『神霊界』大正10年(1921年)2月1日号p.36「水呑百姓の上田吉松(きちまつ)と曰ふのが、王仁の父である」他多数
↑ 国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『皇道大本の信仰(日本宗教講座 5)』 PID:1908057/1/221 p.7 4行目「農夫、上田吉松(きちまつ)の長男として生れました」
↑ 『聖師伝』「一、御誕生#」p.1「穴太の農家上田吉松(きちまつ)氏の家に」他多数
↑ 『大地の母』みいづ舎版第1巻「深山の草」p.8「宇能は夫吉松(きちまつ)と」
↑ 「吉松」の初出は『大本七十年史 上巻』「出生#」p.107
(ページの作成:「'''上田吉松'''(うえだ きちまつ)は、 # 出口王仁三郎の祖父。 →「上田吉松 (王仁三郎の祖父)」 # 出口王仁三郎の…」) |
(相違点なし)
|
2023年9月21日 (木) 16:41時点における版
上田吉松(うえだ きちまつ)は、
- 出口王仁三郎の祖父。 →「上田吉松 (王仁三郎の祖父)」
- 出口王仁三郎の父。旧名・佐野梅吉(さの うめきち)。先代・吉松の養子となり、世祢と結婚した。 →「上田吉松 (王仁三郎の父)」
「吉松」の読み方
「よしまつ」とフリガナを付けている文献が一部あるが、ほとんどは「きちまつ」である。したがって本項でも読み方を「きちまつ」にした。
- 「本教創世記」(明治37年執筆、著作集収録)では「よしまつ」。[1]
- 「伊都能売神諭」では「よしまつ」。[2]
- 「故郷乃弐拾八年」では「きちまつ」。[3]
- 「皇道大本の信仰」(昭和9年発表)では「きちまつ」。[4]
- 『聖師伝』では「きちまつ」。[5]
- 『大地の母』では「きちまつ」。[6]
- 『大本七十年史』ではフリガナが無い。[7]