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本宮

582 バイト追加, 2023年8月3日 (木) 21:35
脚注
== 概要 ==
[[ファイル:江戸時代の綾部12村の位置.jpg|thumb|江戸時代の綾部12村の位置を明治44年の地図にプロットした図。]]
[[ファイル:江戸時代の綾部村、坪内村、新宮村の位置.jpg|thumb|江戸時代の綾部村、坪内村、新宮村の位置を明治44年(1911年)の地図にプロットした図。]]
[[ファイル:大本草創期の坪内の範囲.jpg|thumb|大本草創期の「坪内」の範囲。住所としてはおそらく「綾部町字本宮小字本宮下」だが、通称として坪内と呼んでいた人もいたようである。[[出口和明]]『[[いり豆の花]]』p237「本宮坪ノ内略図」を参考にして作成した。]]
 
* 明治9年(1876年)に、坪内村と新宮村が合併して本宮村が誕生した。<ref>『綾部市史 下巻』p26</ref>
** 本宮と呼ばれる集落が誕生したのは、おそらくこれが最初である。語源は本宮山だが、その山がいつから本宮山と呼ばれるようになったのかは不明。江戸時代の文献にはすでに本宮山の名が見える。
== 坪内 ==
[[ファイル:江戸時代の綾部12村の位置.jpg|thumb|江戸時代の綾部12村の位置を明治44年の地図にプロットした図。]]
 
* 江戸時代の坪内村の位置は地図を参照。
* [[出口和明]]『[[いり豆の花]]』p237「本宮坪ノ内略図」に明治25年から大正初年頃までの坪内地区の住居図が記してある。それによると、その当時に坪内と呼ばれていた地域は現在の本宮町の北端部と、大本通りまでの一角(本町一丁目の南東角)及び本宮町東四ツ辻、本宮町本宮下の辺りである。図を参照。
{{デフォルトソート:ほんくう}}
[[Category:地名]]
[[Category:綾部]]

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