「資料:大蛇嵓の怪女」の版間の差分
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2023年8月2日 (水) 03:02時点における版
大蛇嵓の怪女(だいじゃぐらのかいじょ)は、奈良県の大台ヶ原に伝わる伝説。男が「大蛇嵓(だいじゃぐら)」という場所で作業中に、女に化けた鬼に襲われそうになる。それを別の女が、白髯の老人「弥仙(みせん)大神」の力を借りて男を助けた。
下の文章は、昭和8年(1933年)に発行された『大和の伝説』からの引用である。この物語は「弥山大神の救ひ」と題名が付いているが、おそらくこの物語を原案として「大蛇嵓の怪女」という題名で、他書に掲載されたり、テレビアニメ(まんが日本昔ばなし)になったりしている。
四二一、弥山大神の救ひ (吉野郡上北山村)
有名な大台ケ原山の東南麓、太平洋岸、紀州北牟婁郡船津村[注A 1]に、六兵衛という漁夫があつた。網すきに使うスクリの木[注A 2]をとる為に、三四日がけの用意をして、在所から八九里も離れた、しかも人から一番こはがられてゐる大台ケ原山中、大蛇嵓[注A 3]のもとに分け入つた。
其翌夜、焚火に対して、採り集めたスクリの木の皮を剥いてゐると、急に襟元がヒヤリとしたので、フと首をあげると、そこに四十歳位ゐの女が一人スツクと立つてゐる。ゾツとして未だ口も開かないさきに、女は六兵衛の傍にすはつて、
『御飯を少しおくれ。』
といふ。そして櫃に残つた麦飯を、見るまに食つてしまひ、更に、
『お酒を少しおくれ。』
といふ。声を聞くと、六兵衛のからだは、只機械のやうになつて動いた。女は六兵衛の五升樽を取つて、人もなげに口づけに飲みはじめた。
ここへ又、突然同じ年恰好の女が一人、無言ではいつてきた。そして、前の女に対して坐つたかと思ふと、二人の怪女は、無言のまま睨み合ひを始めた。
其うち、後入りの女は、ツと起つてスーツと外に出ていつた。矢張無言のままである。忽ち天地も崩れるかと思はれるやうな激しい震動が起つた。六兵衛は、其場に昏倒してしまつた。
六兵衛が、程経て我にかへつてみると、酒の女は消失せ、別に巨身白髯の老人と、彼の後入りの女とが、眼前に立つてゐる。そして、女は初めて口を開いて、
『六兵衛、心配すンな。我こさ、この大台ケ原の山の神ぢや。前に出たのは鬼ぢやツた。我は、汝の難儀を救はうと思うて、来たンぢやツたが、鬼の力が強かツたンで、この弥山大神[注A 4]のお助けを仰いで、汝を救ひ出したンぢや。もう、チヨツとも心配は入らンぞ。』
【注A】
- ↑ 「北牟婁郡船津村(きたむろぐん ふなつむら)」は現在の紀北町の南西部(船津駅の近辺)。
- ↑ 「スクリの木」は「スグリの木」か?
- ↑ 「大蛇嵓(だいじゃぐら)」は大台ヶ原山中の断崖絶壁の岩場で、絶景スポットとして有名。岩が大蛇の頭のような形をしている。
- ↑ 「弥山大神」は弁財天のことで、大峰山(連山)の一部「弥山(みせん、みぜん)」に降臨した神。日本の弁財天の初めとされる。天河神社の奥宮(弥山神社)が鎮座する。
- ↑ 国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『大和の伝説(大和叢書)』 PID:1214606/1/165(ページ番号なし)、編修:奈良県道話連盟、高田十郎、昭和8年(1933年)1月、大和史蹟研究会・発行。戦後発行された増補版は新仮名遣いで書いてある。国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『大和の伝説 増補版』 PID:9580621/1/154pp.234-235、昭和34年(1959年)11月、大和史蹟研究会・発行。