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泉田瑞顕
,ページの作成:「'''泉田瑞顕'''(いずみだ ずいけん、1913~1990年)は、皇道赤心会(大本系新宗教)の創始者。元・大本信者。本名は泉田武…」
'''泉田瑞顕'''(いずみだ ずいけん、1913~1990年)は、[[皇道赤心会]](大本系新宗教)の創始者。元・大本信者。本名は泉田武。泉田による宗教活動は「大本裏の経綸」とか「[[大本裏神業]]」等と呼ばれる。
== 略歴 ==
大正2年(1913年)4月11日、愛媛県喜多郡小田町(現・内子町)で生まれる。
昭和9年(1934年)9月15日、[[昭和神聖会]]四国地方本部の発会式が松山市で開かれた。その前日に泉田は[[王仁三郎]]と初めて面会し、王仁三郎に魅せられる<ref>『[[大山経綸]]』p9-10</ref>。その後大本に入信。大本本部(当時は愛善苑)職員、[[人類愛善会]]総本部調査部長。
昭和20年(1945年)8月10日、中矢田の王仁三郎の居宅(後の熊野館)で[[大国以都雄]]と泉田は王仁三郎に面会。大国が中座し二人きりになると、王仁三郎は泉田に、伯耆大山には重大な仕組がしてありぜひ拠点を作らねばならない、自分も必ず行くからしっかりやってくれということを言われた<ref>『[[大山経綸]]』p14</ref>。当時まだ戦時中であり、大国らは大山に避難場所を作ることを計画していた。王仁三郎から大山経綸の重大性を聞かされた泉田は、自分も大山に行くことを決意した。<ref>王仁三郎から大山のことを聞かされたことによって、泉田の独自の宗教活動が始まったと考えられる。</ref>
後に大本は大山農場を建設するが、それは泉田が目指したものとは異なる。大本の大山農場は食糧増産を目指したものだが、和泉が目指したもの(王仁三郎から言われたもの)は神業の拠点であった。<ref>『[[大山経綸]]』p17-18</ref>
昭和26年(1951年)末から「大本裏の経綸」に奉仕する。
昭和34年(1959年)から中国山地(広島県山県郡千代田町、現・北広島町)で農業に従事する。
平成元年(1989年)11月3日、帰幽。<ref>『[[言霊社新報]]』第9号(平成21年(2009年)5月23日発行)p1</ref>
〔『[[救世主王仁三郎]]』の著者略歴、『[[大山経綸]]』を参考にして作成〕
== 主な著書 ==
* [[出口聖師と一厘の仕組]]:昭和57年(1982年)6月
* [[救世主 出口王仁三郎]]:昭和61年(1986年)7月
* 日月神示・日本大預言:昭和61年(1986年)9月、静稚堂、189頁
* [[出口王仁三郎の大警告]]:昭和62年(1987年)1月
* [[出口王仁三郎の世界改造論]]:昭和62年(1987年)5月
* 日月神示・日本大預言 PART2:昭和62年(1987年)7月、静稚堂、225頁
* [[出口王仁三郎 救世の賦]]:平成元年(1989年)8月
* [[大山経綸]]:平成元年(1989年)9月
* 言霊学原論:皇道赤心会
* 神業心得 組織について:皇道赤心会
* 赤心会叢書(全12巻):皇道赤心会
* 霊界と現界:言霊社
* 神風(しんぷう):言霊社
== 関連文献 ==
* [[神示の世界経綸書]](全10巻):昭和62年(1987年)~63年、皇道赤心会(代表・泉田瑞顕)編、大神書刊行会(代表・原田観峰)発行 (第六〜十巻は霊界物語要点)
** 第一巻 三五神諭
** 第二巻 伊都能売神諭
** 第三・四巻 日月神示
** 第五巻 ヨハネの黙示録 シオンの議定書
** 第六巻 天地の剖判と国祖の御隠退
** 第七巻
** 第八巻 神素戔嗚大神の世界経綸
** 第九巻 世界経綸の二大聖地
** 第十巻 太元顕津男の神の御神業
以下は[[神聖火燃輝]]または[[言霊社]]の編著書
* [[裏の大本 終極の経綸]]:平成8年(1996年)3月13日、言霊社、122頁
* 「天言鏡」と「日月神示」の謎:
* 物語カメ:
* 音秘(おとひめ):
* 言霊神歌(げんれいしんか):
* 物語「カメ」と「艮金神国常立尊」の謎:
* 物語カメ:
* 出口王仁三郎聖師と葦原色許男神言:
* 艮金神国常立尊:
* 世の終わりと神示の生活革命:昭和63年(1988年)10月、言霊社、59頁
* 桃之実:
* 梅之実:
* 天言鏡謹解(全10巻):
== 関連項目 ==
* [[赤心会]]
* [[皇道赤心会]]
* [[大本裏神業]]
* [[日月神示]]
* [[神聖火燃輝]]
* [[大山農場]]
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[[Category:人物]]
== 略歴 ==
大正2年(1913年)4月11日、愛媛県喜多郡小田町(現・内子町)で生まれる。
昭和9年(1934年)9月15日、[[昭和神聖会]]四国地方本部の発会式が松山市で開かれた。その前日に泉田は[[王仁三郎]]と初めて面会し、王仁三郎に魅せられる<ref>『[[大山経綸]]』p9-10</ref>。その後大本に入信。大本本部(当時は愛善苑)職員、[[人類愛善会]]総本部調査部長。
昭和20年(1945年)8月10日、中矢田の王仁三郎の居宅(後の熊野館)で[[大国以都雄]]と泉田は王仁三郎に面会。大国が中座し二人きりになると、王仁三郎は泉田に、伯耆大山には重大な仕組がしてありぜひ拠点を作らねばならない、自分も必ず行くからしっかりやってくれということを言われた<ref>『[[大山経綸]]』p14</ref>。当時まだ戦時中であり、大国らは大山に避難場所を作ることを計画していた。王仁三郎から大山経綸の重大性を聞かされた泉田は、自分も大山に行くことを決意した。<ref>王仁三郎から大山のことを聞かされたことによって、泉田の独自の宗教活動が始まったと考えられる。</ref>
後に大本は大山農場を建設するが、それは泉田が目指したものとは異なる。大本の大山農場は食糧増産を目指したものだが、和泉が目指したもの(王仁三郎から言われたもの)は神業の拠点であった。<ref>『[[大山経綸]]』p17-18</ref>
昭和26年(1951年)末から「大本裏の経綸」に奉仕する。
昭和34年(1959年)から中国山地(広島県山県郡千代田町、現・北広島町)で農業に従事する。
平成元年(1989年)11月3日、帰幽。<ref>『[[言霊社新報]]』第9号(平成21年(2009年)5月23日発行)p1</ref>
〔『[[救世主王仁三郎]]』の著者略歴、『[[大山経綸]]』を参考にして作成〕
== 主な著書 ==
* [[出口聖師と一厘の仕組]]:昭和57年(1982年)6月
* [[救世主 出口王仁三郎]]:昭和61年(1986年)7月
* 日月神示・日本大預言:昭和61年(1986年)9月、静稚堂、189頁
* [[出口王仁三郎の大警告]]:昭和62年(1987年)1月
* [[出口王仁三郎の世界改造論]]:昭和62年(1987年)5月
* 日月神示・日本大預言 PART2:昭和62年(1987年)7月、静稚堂、225頁
* [[出口王仁三郎 救世の賦]]:平成元年(1989年)8月
* [[大山経綸]]:平成元年(1989年)9月
* 言霊学原論:皇道赤心会
* 神業心得 組織について:皇道赤心会
* 赤心会叢書(全12巻):皇道赤心会
* 霊界と現界:言霊社
* 神風(しんぷう):言霊社
== 関連文献 ==
* [[神示の世界経綸書]](全10巻):昭和62年(1987年)~63年、皇道赤心会(代表・泉田瑞顕)編、大神書刊行会(代表・原田観峰)発行 (第六〜十巻は霊界物語要点)
** 第一巻 三五神諭
** 第二巻 伊都能売神諭
** 第三・四巻 日月神示
** 第五巻 ヨハネの黙示録 シオンの議定書
** 第六巻 天地の剖判と国祖の御隠退
** 第七巻
** 第八巻 神素戔嗚大神の世界経綸
** 第九巻 世界経綸の二大聖地
** 第十巻 太元顕津男の神の御神業
以下は[[神聖火燃輝]]または[[言霊社]]の編著書
* [[裏の大本 終極の経綸]]:平成8年(1996年)3月13日、言霊社、122頁
* 「天言鏡」と「日月神示」の謎:
* 物語カメ:
* 音秘(おとひめ):
* 言霊神歌(げんれいしんか):
* 物語「カメ」と「艮金神国常立尊」の謎:
* 物語カメ:
* 出口王仁三郎聖師と葦原色許男神言:
* 艮金神国常立尊:
* 世の終わりと神示の生活革命:昭和63年(1988年)10月、言霊社、59頁
* 桃之実:
* 梅之実:
* 天言鏡謹解(全10巻):
== 関連項目 ==
* [[赤心会]]
* [[皇道赤心会]]
* [[大本裏神業]]
* [[日月神示]]
* [[神聖火燃輝]]
* [[大山農場]]
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[[Category:人物]]