「百鏡」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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* 『[[大本教学 (教学誌)|大本教学]]』第11号(昭和47年2月発行)p77-88に、百鏡の読み札100枚がモノクロで掲載されている。
 
* 『[[大本教学 (教学誌)|大本教学]]』第11号(昭和47年2月発行)p77-88に、百鏡の読み札100枚がモノクロで掲載されている。
 
* 令和元年(2019年)11月に、[[八幡書店]]から復刻版が発行された。八幡書店社主・[[武田崇元]]による解説書と、大正9年(1920年)発行の大本案内図(カラー複製)が付属している。価格8,800円+税。
 
* 令和元年(2019年)11月に、[[八幡書店]]から復刻版が発行された。八幡書店社主・[[武田崇元]]による解説書と、大正9年(1920年)発行の大本案内図(カラー複製)が付属している。価格8,800円+税。
* [[山折哲雄]]は『[[宗教の行方]]』の中で王仁三郎が百鏡を考えたのは「戦争中のこと」だとしているが、何を根拠にしてそのように思ったのかは不明。<ref>『[[宗教の行方]]』「百面相 王仁三郎」(これは1994年7月、亀岡での講演録)p64:「教団へのカンパを募るために王仁三郎自身が考え出したことのようです。戦争中のことです」</ref>
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* [[山折哲雄]]は『[[宗教の行方]]』の中で、王仁三郎が百鏡を考えたのは「戦争中のこと」だとしているが、何を根拠にしてそのように思ったのかは不明。<ref>『[[宗教の行方]]』「百面相 王仁三郎」(これは1994年7月、亀岡での講演録)p64:「教団へのカンパを募るために王仁三郎自身が考え出したことのようです。戦争中のことです」</ref>
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

2022年7月31日 (日) 18:43時点における版

百鏡(ももかがみ)は、出口王仁三郎の肖像写真と讃美歌を用いて作られたカルタ。

概要

  • 「瑞能神歌 一人百首カルタ 百鏡」と題している。
  • 歌は百首あり、百人一首カルタのように読み札と取り札に分かれている。読み札には王仁三郎の写真と歌が印刷されており、取り札には下の句だけが印刷されている。
  • 読み札の写真は単色カラーで5色ある。
  • 歌は大本讃美歌(霊界物語第61巻第62巻)から選ばれた。[1]
  • 昭和3年(1928年)冬に初版が発行され、翌4年冬に改定再版された。[1]
  • 昭和47年(1972年)8月7日に、大本教典刊行会から復刻版が発行された。王仁三郎の生誕百年[2]及び霊界物語校定版全巻刊行[3]を記念して発行されたものである。[1]
  • 大本教学』第11号(昭和47年2月発行)p77-88に、百鏡の読み札100枚がモノクロで掲載されている。
  • 令和元年(2019年)11月に、八幡書店から復刻版が発行された。八幡書店社主・武田崇元による解説書と、大正9年(1920年)発行の大本案内図(カラー複製)が付属している。価格8,800円+税。
  • 山折哲雄は『宗教の行方』の中で、王仁三郎が百鏡を考えたのは「戦争中のこと」だとしているが、何を根拠にしてそのように思ったのかは不明。[4]

外部リンク

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 昭和47年版の説明書による。
  2. 明治4年(1871年)生誕だとすると、昭和46年(1971年)が百年目に当たる。
  3. 昭和45年(1970年)9月に第72巻入蒙記が発行され、校定版の全巻刊行が完了した。
  4. 宗教の行方』「百面相 王仁三郎」(これは1994年7月、亀岡での講演録)p64:「教団へのカンパを募るために王仁三郎自身が考え出したことのようです。戦争中のことです」