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出典:『昭和』昭和7年(1932年)4月号口絵出典:『[[昭和青年]]』昭和7年(1932年)4月号口絵
→概要
[[小幡神社]]にて日活映画撮影の際のスナップ写真。前列右から[[上田世祢]]、[[出口王仁三郎]]、[[出口澄子]]。昭和7年(1932年)3月3日撮影。「[[天恩郷#大本の映画]]」参照。
説明文「小幡神社に於て
三月一日は雨であつた。三月二日に天恩郷にロケーシヨンに来る日活辻監督の切なる願ひにより、使に来た野沢氏に、出口王仁三郎氏は快諾を与へられ「ロケーシヨン中は天気にしてやる」とさへ云はれたのであつた。三月二日、八十人からなるロケ隊は、出口氏の言の如く晴天になつた天恩郷に、二日間に亘るロケに出て来た。水戸黄門の或るカットの撮影である。三月三日、出口氏の生地、穴太に出口氏の厚意によつてロケに出る。此の写真はその折小幡神社前に於てなされたスナップである。会長夫妻及会長生母をかこんだ辻監督、谷本キャメラマン、山本嘉一、光岡竜三郎、海江田讓二の諸氏である。」