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7月12日

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王仁三郎の誕生を記念する祭典は「誕生祭」や「生誕祭」等と呼ばれ旧7月12日に開かれていた。
昭和6年(1931年)8月25日(旧7月12日)は数え年61歳(満60歳)つまり還暦を迎えた年であったが、王仁三郎は還暦という言葉を嫌い「更生(こうせい)」昭和6年(1931年)8月25日(旧7月12日)は数え年61歳(満60歳)つまり還暦を迎えた年であったが、王仁三郎は還暦という言葉を嫌い「[[更生]](こうせい)」<ref>更生という文字を合すると「甦(よみがえる)」になる。</ref>と呼んだため<ref>『出口王仁三郎著作集 第五巻』「{{obc|B195305c211|更生の年をむかえて}}」:「世の中の多くの人は六十一歳の還暦を迎えると、自分でも老人の如うな感じがすると同時に、他人からも老人扱いされるものであって(略)それで私は六十一歳の還暦を「更生」と称えて、いよいよこれから世界の為に緊褌一番せにゃならぬからとて」(初出は『[[神の国]]』昭和10年11月号「大鏡 {{obc|B182000c31|六十歳以上の人の為に}}」)</ref>「更生祭」と称して祭典が盛大に開かれた。「[[更生祭]]」と称して祭典が盛大に開かれた。
<ref>『[[大本史料集成]] Ⅱ』「{{obc|B195502c2202051|聖師更生祭 歓呼祝呼に充たされた四日間}}」</ref>
<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5133|梅花運動}}」</ref>
昭和30年(1955年)からは王仁三郎が昭和17年8月7日に出獄したことを記念して新暦[[8月7日]]に変更された。しかし昭和52年(1977年)から再び旧7月12日に変更された。<ref>『[[第三次大本事件の真相]]』「第三次大本事件勃発」p212</ref>
平成15年(2003年)から再度8月7日に変更になった。<ref>[https://oomoto.or.jp/wp/matsuri/ 大本のまつり](宗教法人大本)令和4年(2022年)5月12日閲覧」(宗教法人大本の公式サイト)令和4年(2022年)5月12日閲覧</ref>
[[大本信徒連合会]]では旧暦7月12日に「[[瑞生大祭]]」を、[[愛善苑 (新)|愛善苑]]では旧暦7月12日に近い日曜日に「[[瑞霊降誕祭]]」を執行している。(いずれも令和4年(2022年)現在)

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