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前期(大正15年2月から昭和10年12月第二次大本事件までの約10年間)の作品については約5千個という推測がある。だが第二次大本事件の際、当局の弾圧によりその多くは破却され、現存するものは少ない。前期(大正15年2月から昭和10年12月第二次大本事件までの約9年10ヶ月)の作品については約5千個という推測がある。だが第二次大本事件の際、当局の弾圧によりその多くは破却され、現存するものは少ない。<ref>『立替え立直し 人類愛善世界の提唱』(昭和46年、出口王仁三郎生誕百年記念会)p97、加藤義一郎「茶盌師王仁」:「約五千の楽焼茶盌を造っていたという。しかし当時の官憲の峻烈な弾圧は、如何なる一物もいやしくも彼の息のかかったものの遺存を許さなかったので、一旦眼に触れれば容赦なく破毀され、五千を数えたという楽焼も、より多くの書画の筆蹟同様殆ど亡失したのである。それ故偶然に残った極めて稀な例以外には、前期の作を窺うすべはない。」</ref>
耀盌
,→個数
王仁三郎が作陶した楽焼茶碗の数は、前期も後期もはっきり分かっていない。
後期(昭和19年年末から昭和20年3月までの約1年3ヶ月)の作品つまり耀盌の個数については「3000個」や「3000個以上」と紹介している場合が多い。