「中村孝道」の版間の差分
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[[山口志道]](杉庵思軒、杉庵志道)と中村孝道は同一人物だという説があるが、二人は別人である。<ref>大宮司朗・武田洋一「大石凝真素美とその霊的遡源」(『大石凝真素美全集 解説篇』p48)によると、井上仁が『さすら』(神理研究会の機関誌)48号で「杉庵志道とは日本言霊学中興の祖である中村孝道先生のペンネームである」と書いたことが同一人物説が広まったきっかけらしい。</ref> | [[山口志道]](杉庵思軒、杉庵志道)と中村孝道は同一人物だという説があるが、二人は別人である。<ref>大宮司朗・武田洋一「大石凝真素美とその霊的遡源」(『大石凝真素美全集 解説篇』p48)によると、井上仁が『さすら』(神理研究会の機関誌)48号で「杉庵志道とは日本言霊学中興の祖である中村孝道先生のペンネームである」と書いたことが同一人物説が広まったきっかけらしい。</ref> | ||
『新月の光』によると、王仁三郎は「杉庵思軒と中村孝道は一しょに書いてあるが違うと思う。杉庵思軒は信州の皆神山から方々を廻って、比沼真奈井の神官になった人である」<ref>『新月の光』0633「杉庵思軒と中村孝道」(昭和18年の発言)</ref>と語っている。(ただしこれは王仁三郎の誤解だという指摘がある<ref>『大本言霊学』(八幡書店)p242で大宮司朗が「王仁三郎が「杉庵思軒は信州の皆神山から方々を廻って、比沼真奈井の神官になった人である」(昭和十八年)と誤ったことをいっている」と指摘している</ref>) | |||
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