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このような方位の各面への割り当ては、大石凝の割り当て方とはまるで異なるが、なぜ異なるのか水谷は(「天津祝詞学」の中で)言及していない。このような方位の各面への割り当ては、大石凝の割り当て方とはまるで異なる。水谷は「天津祝詞学」の中で、研究の結果、大石凝の説とは「異なる部分が非常に多くなった」と述べている。<ref>水谷清『古事記大講 第14巻(天津祝詞学綱要上巻)』p4「大石礙先師の説を尊重し、其の方式を祖述することは、我等の当然の任務ではあるけれども、先師の説に対しても、我等は飽まで厳正なる批判的態度を執り、取捨を自由にする事が、斯学を向上せしむる所以たるを信じ、独自の立場に立って研究した結果、先師の説とは全然異なる部分が非常に多くなった事は、余儀ない事と存じてゐる次第である。先師亦以て余の態度を寛容される事と信ずるものである」</ref>
六角切り子
,→水谷清の説
安閑争危の4つの象は「球内に潜在して、表面には現はれない」<ref>『古事記大講 第十四巻』p190</ref>。
== 脚注 ==