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清彦・照彦

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'''清彦'''(きよひこ)と'''照彦'''(てるひこ)は、[[霊界物語]]に登場する人物。旧名は「'''虻公'''(あぶこう)」「'''蜂公'''(はちこう)」。

== 概要 ==
* 表記ゆれ:虻、蜂
* 初出:{{rm|23|7|知らぬが仏}}(虻公・蜂公)、{{rm|27|15|情意投合}}(清彦・照彦)
* 虻公・蜂公の名で[[第23巻]]・[[第25巻]]に、清彦・照彦の名で[[第27巻]]に登場する。さらに照彦だけは[[第28巻]]にも登場する。
* 虻公・蜂公は泥棒だったが、盗みに入った家の主人・[[常楠]]の子供だったことが判明する。(厳密に言えば、虻公は常楠の実子だが、蜂公は常楠の妻[[お久]]と他の男([[木山彦]])の間に生まれた子なので、蜂公と常楠には血縁関係は無い)<ref>{{rm|23|8|縺れ髪}}:「次に虻公は[[常楠]]と[[木山姫]]との中に生れた子である。次に蜂公は[[木山彦]]と[[お久]]との中に生れた子である」</ref>
* {{rm|27|15|情意投合}}に、虻公・蜂公が、[[言依別命]]から、清彦・照彦という名を与えられ、[[准宣伝使]]の職に就いたことが記されている。<ref>{{rm|27|15|情意投合}}:「虻公は既に言依別命より清彦と云ふ名を賜り、蜂公は照彦と云ふ名を賜つて、准宣伝使の職に就いて居たのである」</ref>
* 年齢は、清彦は44~5歳、照彦は42~3歳である。20歳ほど年下の[[清子姫]](25歳)・[[照子姫]](23歳)([[広宗彦]]の子孫)と結婚する。<ref>{{rm|27|15|情意投合}}:「清彦は四十四五才、照彦は四十二三才の元気盛り、清子姫は二十五才、照子姫は二十三才になつて居た。年齢に於て二十年許り違つて居る」:ただし実際に結婚するのはこの章に登場する清子姫・照子姫([[行成彦]]の子孫で、[[比沼の真名井]]の宝座に仕えていた)ではなく、{{rm|27|17|沼の女神}}に登場する清子姫・照子姫(広宗彦の子孫)である。</ref>
** 清彦・照彦には[[紀の国]]に妻子がいたが、夫を捨ててどこかへ姿を隠してしまった<ref>{{rm|27|16|琉球の神}}:「自分には紀の国に妻子ある事を思ひ出し、天則違反の行動となるに思ひ当り、この恋を断念する事となつた。然るに清彦、照彦二人の妻子は、夫を捨てて何処へか姿を隠したる事後に至つて判然し、常楠の命に依つて貴人の娘を妻となし、清彦は琉球の北の島を、照彦は南の島を管掌し、永遠にその子孫を伝へたのである」</ref> <ref>{{rm|27|17|沼の女神}}:清彦の歌「国に残した妻子はあれど 何時の間にやら人の妻 行方も知らぬ妻子の身の上 かうなる上はよもや 天則違反に問はれはすまい」</ref>ため、再婚ということになる。
* 二人は[[琉球]]に渡り、清彦は北の島([[琉の島]])の王となり、照彦は南の島([[球の島]])の王となる。<ref>{{rm|27|16|琉球の神}}:「清彦は琉球の北の島を、照彦は南の島を管掌し」、{{rm|28|10|縺れ髪}}:「琉球の南島に在る三五教の神司兼国王たる照彦、照子姫の」。厳密に言えば、清彦に関しては「王」になったとは書かれておらず、「管掌」したとしか書かれていない。</ref>
* 照彦王・[[照子姫]]の息子と娘([[照国彦]]・[[照国姫]])は、台湾島の[[カールス王]]・[[ヤーチン姫]]の娘と息子([[八千姫]]・[[八千彦]])と結婚する。<ref>{{rm|28|18|天下泰平}}:「末に至りてカールス王とヤーチン姫の間に八千彦、八千姫の一男一女が生れた。又照彦王と照子姫の間にも、照国彦、照国姫の一男一女が生れた。真道彦命の媒酌に依つて、照彦王の長子照国彦に八千姫を娶はせ、又カールス王の長子八千彦に照彦王の娘照国姫を娶はせ、茲に改めて親族関係を結ぶ事となつた」</ref>

== エピソード ==

=== 第23巻・第25巻 ===

虻公・蜂公は泥棒稼業をしている。[[紀の国]]の[[木山の里]]の[[常楠]]・[[お久]]夫婦の家に、旅人を装って泊まらせてもらい、百両ほどの大金を奪って、娘の[[お軽]]を殺した。<ref>{{rm|23|5|親子奇遇}}:[[お久]]の[[駒彦]]に対するセリフ「せめて二三日前にお前が帰つて呉れたなら、妹の'''お軽'''もあんな目に会うのではなかつたぢやらうに……あゝ残念な事をした。お前の行方を探したさ、若いうちに夫婦が交る交る紀の国一面を歩いて見たが、どうしても行方が知れず、斯う年が寄つては歩く事も出来ぬので、人さへ見れば吾家に泊つて貰ひ、何かの手懸りもがなと、善根宿をして居つたのだ。さうした所がエライ泥棒を泊めて、妹の生命を取られて了うたのぢや」</ref> <ref>{{rm|23|7|知らぬが仏}}:蜂公の虻公に対するセリフ「木山の里で爺と婆アの家に泊り込み、奪つて来た金子は大方使ひ果し」。虻公の蜂公に対するセリフ「木山の里で奪つた金子も百両ばかりあつたが」、「貴様は可愛相に彼の娘を○○して、両親の前でばらしたぢやないか」</ref>

二人は[[栗栖の宮]]の壊れた社務所の縁側で、その時のことを回顧していると、中から人から出て来た。それはお久だった。[[常楠]]・[[お久]]・[[秋彦]]・[[駒彦]]の4人は[[竜神の宮]]の祟りから逃れるため、[[木山の里]]を出立し、栗栖の森まで来たが、常楠が急病になったため、栗栖の宮の社務所で休んでいたのだった。

お久は二人が泥棒だと気づく。秋彦・駒彦が[[霊縛]]をかけて動けなくした。常楠に諭されて二人は改心する。生い立ちを聞くと、常楠・お久の生き別れた息子だということが判明した。

虻公は、生まれてすぐ、[[印南の里]]の森に捨てられた。村人が拾って育ててくれたが、育ての両親は6歳の時に病死した。その後は乞食となり、妻を持った。捨てられた時に添えてあった守り刀には「常」という字と、○に十(常楠の家の紋所)が記してあった。──[[常楠]]が妻[[お久]]の目を盗み、下女[[お竜]]([[木山姫]]<ref name="rm2308">{{rm|23|8|縺れ髪}}の「付記」</ref>)に生ませた子だった。妻の悋気を恐れて、森に捨てたのだった。

蜂公は、水児(生まれてすぐ)の時に[[熊野の森]]に捨てられた。それを山賊の親分が見つけて、[[大台ケ原]]の山砦に連れ帰り、育てた。18歳の時、三五教の宣伝使が岩窟退治をした<ref>[[第7巻]]の[[日の出神]]のことか?</ref>時にそこを脱け出し、諸方をさまよい、妻を持った。捨てられた時にあった守り刀には蜂の印が入っていたため名を「蜂」と呼ばれるようになった。──[[お久]]は[[常楠]]に嫁ぐ前に、親の許さぬ男([[木山彦]]<ref name="rm2308" />)を持ち、子を産んで熊野の森に捨てた(約40年前のこと)。

翌日、六人は熊野へ御礼詣りに行く<ref>{{rm|23|7|知らぬが仏}}:常楠のセリフ「明日は早く此処を立去つて熊野へ御礼に参りませう」</ref>。木山彦・木山姫夫婦が熊野の滝に水行に来ていた。八人の前に[[木花姫命]]が現れ、各自の出自を明らかにする。

[[秋彦]]([[鹿公]])は木山彦とお久の子であり、幼少の時に行方不明になった(何者かにさらわれた<ref>{{rm|23|6|神異}}:木山彦のセリフ「私も三人の子供があつたが二人迄、村の者が竜神の宮の柿を取り、何処かへ遁走したので、其身代りに二人の娘は奪られ、一人の伜は何者に攫はれたか、幼少の時より行方知れず」</ref>、あるいは継母が来たので家を飛び出した<ref>{{rm|23|8|縺れ髪}}:木山彦のセリフ「私は壮年の頃或一人の女と夫婦の約束を結び、子迄成したる仲を無惨にも振り捨てて、今の女房を持ちました。悪い事と申せば私一代に是により外に覚えは御座いませぬ。其報いにや、二人の娘は人身御供に取られ、一人の伜は継母が来たので何時の間にか、幼少の頃吾家を飛び出して行方は更に分らず」</ref>)。

[[駒彦]]([[馬公]])は常楠・お久の子であるが、小さい時に天狗にさらわれて山城の国の[[紫野]]の大木の上に引っかけられていたのを、そこの酋長が見つけて、育ててくれた。守り袋には「常」や「久」という文字が書いてあり、「馬楠」という名が書いてあった。<ref>{{rm|23|5|親子奇遇}}</ref>

こうして生き別れた親子八人は再会を遂げた。[[木花姫命]]は、汝らの信仰の力によって罪を赦され親子の対面を為すことを得たのである、と告げて姿を消した。

〔以上、{{rm|23|7|知らぬが仏}}~{{rms|23|8|縺れ髪}}〕

一行八人は熊野の[[若彦]]の館へ行く。そこで[[高姫]]と遭遇する。〔{{rm|23|9|高姫騒}}〕

虻公・蜂公は[[玉能姫]](若彦の妻)に伴われ、[[生田の森]]の神館へ行く。〔{{rm|23|10|家宅侵入}}〕

虻公・蜂公は[[洲本]]の東助館の臨時門番となる。来訪した高姫と口論になる。〔{{rm|25|17|森の囁}}〕


=== 第27巻 ===

虻公は[[言依別命]]([[錦の宮]]の教主)から清彦という名を、蜂公は照彦という名を与えられ、[[准宣伝使]]の職に就いた。[[言依別命]]と[[国依別]]は[[高砂島]]へ旅立ち、[[高姫]]はその後を追跡した。清彦・照彦はそのことを聞いて、高姫が言依別命に危害を加えるかも知れないと危惧し、[[瀬戸の海]]を舟を漕いで後を追った。

[[児島半島]]の近くで、座礁していた[[清子姫]]・[[照子姫]]([[行成彦]]の子孫で、[[比沼の真名井]]の宝座に仕えていた<ref>{{rm|27|15|情意投合}}:「此照子姫、清子姫は其祖先は行成彦命であつて、四代目の孫に当つて居る。神勅を受けて、比沼真奈井に豊国姫出現に先立つて現はれ、比治山に草庵を結び、時を待つて居たのである」</ref>)の舟を見つけ、救出する。4人は一つの舟に乗って琉球へ向かうが、次第に恋愛感情が芽生えてきた。しかし清子姫は清彦に、清彦は照子姫に、照子姫は照彦に、照彦は清子姫を好きなるという複雑な恋愛関係になる。

4人は那覇港に上陸し、槻の洞穴({{rm|27|8|琉と球}}で言依別命一行が泊まった洞穴<ref>槻の大木の根元に開いた洞穴。{{rm|27|8|琉と球}}で初めて登場する。「見れば槻の根元には縦五尺横三尺許りの洞が開いて居る。余りの老木にて皮ばかりになり、中へ入り見れば全部洞穴になつて居て、所々に草で編んだ蓆などが散乱して居る。此木の洞は殆ど五十坪許りもあつた」</ref>)で、高姫一行3人([[高姫]]・[[春彦]]・[[常彦]])と遭遇する。一悶着が起き、高姫一行は言依別命一行を探すため洞穴から出て行った。〔以上、{{rm|27|15|情意投合}}〕

槻の洞穴に言依別命一行([[言依別命]]・[[国依別]]・[[若彦]]・[[常楠]]ら)が帰って来た。言依別命は常楠(清彦・照彦の父)に琉球の王になれと命じ、清彦・照彦には常楠と共に島を守護せよと命じ、船で[[高砂島]]に向かって出発した。清子姫・照子姫は言依別命の後を追い、夜ひそかに船で高砂島へ向かった。清彦・照彦は清子姫・照子姫が消えたことに落胆したが、紀の国に妻子あることを思い出して、この恋を断念した。〔{{rm|27|16|琉球の神}}〕

清彦は、[[琉球沼]]の対岸に清子姫・照子姫が現れて手を差し招いた夢を見た。清彦・照彦は琉球沼に行ってみると、沼の中央の珊瑚礁の小島の岩窟で、[[清子姫]]・[[照子姫]]と出会った。以前の清子姫・照子姫とは別人で、[[広宗彦]]の子孫<ref>{{rm|27|17|沼の女神}}:清子姫の歌「広宗彦が四代の孫」</ref>である。清彦と清子姫、照彦と照子姫がそれぞれ結婚する。清彦は[[琉の島]](北の島)の、照彦は[[球の島]](南の島)の守り神となった。〔{{rm|27|17|沼の女神}}~{{rms|27|18|神格化}}〕

=== 第28巻 ===

[[台湾島]]の[[三五教]]の教主・[[真道彦命]]は[[バラモン教]]の勢力に捕まり投獄されてしまった。その息子である[[日楯]]・[[月鉾]]の兄弟は、[[ユリコ姫]]に神懸った[[竜世姫命]]の神示により、球の島の三五教の神司兼国王である照彦・照子姫に救援を求めることになった<ref>{{rm|28|10|縺れ髪}}:「琉球の南島に在る三五教の神司兼国王たる照彦、照子姫の許に到り、事情を打明かし、救援を求めよ」</ref>。〔{{rm|28|10|縺れ髪}}〕

[[日楯]]・[[月鉾]]・[[ユリコ姫]]の三人は球の島に渡り、[[サワラの都]]の城で三日間の無言の行を行う。照彦王・照子姫が帰城して、三人に封書を渡した。そこに書いてあった指示に従い、三人は[[向陽山]]へ行って[[常楠仙人]]に会い、玉と鏡を受け取った。〔{{rm|28|12|サワラの都}}~{{rms|28|14|二男三女}}〕

3人はそれを台湾島に持ち帰り、邪神から台湾島を救う。

台湾島の[[カールス王]]は照彦王に感謝し、台湾と琉球と互いに提携して神業に奉仕することとなった。〔カールス王〕には[[八千彦]]・[[八千姫]]という一男一女がおり、照彦王には[[照国彦]]・[[照国姫]]という一男一女がいた。照国姫と八千姫、八千彦と照国姫がそれぞれ結婚し、両王家に親族関係が結ばれた。〔{{rm|28|18|天下泰平}}〕

== 脚注 ==
<references/>

{{デフォルトソート:きよひこてるひこ}}
[[Category:霊界物語の人物 (組)]]

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