「十六神将」の版間の差分

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[[ファイル:十六神将.jpg|300px|thumb|right|十六神将に扮した人たち(右から二人目が王仁三郎)昭和10年10月13日、穴太にて撮影)]]  
[[ファイル:十六神将.jpg|300px|thumb|right|十六神将に扮した人たち(右から二人目が王仁三郎)昭和10年10月13日、穴太にて撮影)]]  


[[シオン山の戦い]]のときに、[[大八州彦命]]が魔軍から[[シオン山]]を防衛するために組織した16人の神将である。[[真鉄彦]]、[[吾妻別]]、[[大足彦]]、[[磐樟彦]]にそれぞれ北、東、南、西の上がり口を守らせた。他の12人の守備位置は不明。〔{{rm|2|1|攻防両軍の配置}}〕
[[シオン山の戦い]]のときに、[[大八州彦命]]が魔軍から[[シオン山]]を防衛するために組織した16人の神将である。[[真鉄彦]]、[[吾妻別]]、[[大足彦]]、[[磐樟彦]]にそれぞれ北、東、南、西の上がり口(山麓)を主将として守らせた。他の神将の守備位置は以下の通り。空欄は守備位置不明。〔{{rm|2|1|攻防両軍の配置}}、{{rm|2|40|山上の神示}}<ref>{{rm|2|40|山上の神示}}:「東の山麓には[[吾妻別]]を主将とし、[[香川彦]]、[[広足彦]]を部将として(略)西の山麓には[[磐樟彦]]を主将とし、[[上倉彦]]、[[花照彦]]を部将とし(略)南方の山麓には[[大足彦]]を主将とし、[[奥山彦]]、[[安世彦]]を部将とし(略)北方の山麓には[[真鉄彦]]少しの神軍と共に万一に備へることとなつた。また山上の本営には[[大八洲彦命]]を総大将として[[真道彦命]]、[[花森彦]]、[[谷川彦]]、[[谷山彦]]が固く守ることとなつた」</ref>


#[[真鉄彦]](まがねひこ)…北方の上がり口
#[[真鉄彦]](まがねひこ)…北(主将)
#[[谷川彦]](たにがわひこ)…
#[[谷川彦]](たにがわひこ)…山上の本営
#[[谷山彦]](たにやまひこ)…
#[[谷山彦]](たにやまひこ)…山上の本営
#[[宮比彦]](みやびひこ)…
#[[宮比彦]](みやびひこ)…(シオン山の神殿の斎主<ref>{{rm|2|40|山上の神示}}:「ここに宮比彦を斎主とし、一切の神務を主宰せしめられた」</ref>)
#[[康代彦]](やすよひこ)…
#[[康代彦]](やすよひこ)<ref>「[[康代彦]]」は「[[安世彦]]」という表記もある。霊界物語ネットの『[http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B200001c006 第2巻の「かみくらひこ」と「やすよひこ」]』を見よ</ref>… 南(部将)
#[[真言彦]](まことひこ)…
#[[真言彦]](まことひこ)…
#[[奥山彦]](おくやまひこ)…
#[[奥山彦]](おくやまひこ)… 南(部将)
#[[磐樟彦]](いわくすひこ)…西方の上がり口
#[[磐樟彦]](いわくすひこ)…西(主将)
#[[広足彦]](ひろたるひこ)…
#[[広足彦]](ひろたるひこ)… 東(部将)
#[[神座彦]](かみくらひこ)…
#[[神座彦]]<ref>「[[神座彦]]」は「[[神倉彦]]」「[[上倉彦]]」という表記もある。霊界物語ネットの『[http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B200001c006 第2巻の「かみくらひこ」と「やすよひこ」]』を見よ</ref>(かみくらひこ)… 西(部将)
#[[香川彦]](かがわひこ)…
#[[香川彦]](かがわひこ)… 東(部将)
#[[花照彦]](はなてるひこ)…
#[[花照彦]](はなてるひこ)… 西(部将)
#[[大足彦]](おおだるひこ)…南方の上がり口
#[[大足彦]](おおだるひこ)…南(主将)
#[[道貫彦]](みちつらひこ)…
#[[道貫彦]](みちつらひこ)…
#[[吾妻別]](あづまわけ)…東方の上がり口
#[[吾妻別]](あづまわけ)…東(主将)
#[[花森彦]](はなもりひこ)…
#[[花森彦]](はなもりひこ)…山上の本営
 
(上に記した12人の順序は{{rm|2|1|攻防両軍の配置}}に書いてある順序<ref>{{rm|2|1|攻防両軍の配置}}:「天使は時をうつさず[[真鉄彦]]、[[谷川彦]]、[[谷山彦]]、[[宮比彦]]、[[康代彦]]、[[真言彦]]、[[奥山彦]]、[[磐樟彦]]、[[広足彦]]、[[神座彦]]、[[香川彦]]、[[花照彦]]、[[大足彦]]、[[道貫彦]]、[[吾妻別]]、[[花森彦]]の十六神将をしておのおの神軍を督し」</ref>)


このとき[[シナイ山]]は[[稚桜姫命]]によって「[[八神将]]」が組織された。
このとき[[シナイ山]]は[[稚桜姫命]]によって「[[八神将]]」が組織された。