「霊界物語第38巻の諸本相違点」の版間の差分
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(ページの作成:「{{RmSyohonSouiten|第38巻}} ---- {| class="rm_syohon_souiten" |初||p8(第1章)||政教慣造の四大'''主義'''の実行であつて、(中略)即ち此大'…」) |
(相違点なし)
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2020年5月16日 (土) 03:34時点における版
霊界物語の諸本相違点とは、霊界物語刊本の諸本(初版、校定版、愛善世界社版など)の本文の相違点のことである。
- 諸本すべてをチェックしたわけではない。飯塚弘明が霊界物語ネットのデータ作成の過程において気がついた相違点をピックアップしたものである。霊界物語ネットは愛善世界社版を底本にしており、主に愛善世界社版と八幡書店版との相違点をピックアップしてある。全ての相違点ではなく、あくまでも気がついた点だけである。
- 八幡書店版の本文は校定版とほぼ同じである。また、王仁DBのデータは霊界物語ネットと同じである。
- 各諸本を次のように略す。 初…戦前の初版 再…戦前の再版(第二版のこと) 三…戦前の三版(四版以降も同様に略す) 御…聖師御校正本 普…普及版 校…校定版 修…修補版 八…八幡書店版(八幡版) 愛…愛善世界社版(愛世版) R…霊界物語ネット
- 最も基準にすべき原典は御校正本であり、それと他の諸本を比較すべきである。また、八幡版の底本は校定版である。しかし霊界物語ネットのデータ作成の段階では御校正本や校定版が入手できなかったため、やむを得ず、八幡版や愛世版を基準にして、御校正本や校定版を比較しているかのような書き方をしている場合もある。
- 天祥地瑞は最初から校正された状態で発刊されているため、御校正本というものは存在しない。戦前発行された初版と、戦後発行された版(再版以降)との比較になる。
- ストーリー上の矛盾や、意味の変更を伴うような重大な相違点については 【重大】 という表示を付けた。
初 | p8(第1章) | 政教慣造の四大主義の実行であつて、(中略)即ち此大主義を実践躬行するのが (「四」が欠落して「大主義」になってしまったものと思われる)(「四」には振り仮名が付されていない) |
校 | p11 | 政教慣造の四大(しだい)綱領の実行であつて、(中略)即ち此四大綱領を実践躬行するのが (今はこれを四大綱領と呼び、清潔・楽天・進展・統一を四大主義と呼ぶため修正した? 『惟神の道』でも四大主義だが、『王仁文庫 第五篇』では四大綱領になっている) |
八 | p161上 | 「綱領」 |
愛 | p11 | 「よんだい」「主義」 |
R | 愛世版と同じ |
初 | p12(第1章) | (章末の歌)選まれし神の使の甲斐もなし(改行)人を導く力なき身は |
校 | p14 | (掲載されていない) |
八 | p162上 | 校定版と同じ |
愛 | p14 | 初版と同じ |
R | 初版と同じ |
初 | p57(第5章) | 土の中から形のある御神体の出るのではない、 |
校 | p51 | 土の中から形のある御神体が出るのではない、 |
八 | p175下 | 校定版と同じ |
愛 | p50 | 初版と同じ |
R | 校定版と同じ |
八 | p178上 | 何言も神界へ任すがよいというて |
愛 | p57 | 何事も神界へ任すがよいと云うて |
R | 愛世版と同じ |
八 | p196下 | 上田喜三郎(王仁三郎の旧名)の所業は神勅に反く |
愛 | p105 | 上田喜三郎(瑞月旧名)の所業は神勅に反く |
R | 愛世版と同じ |
八 | p205上 | 何時まで経つてもこんな風では、仕事ができぬから、 |
愛 | p126 | 何時まで経つてもこんな風では、何も仕事が出来ぬから、 |
R | 愛世版と同じ |
初 | p156(第12章) | 松村真澄再録) (なぜ再録なのか不明。以前に機関誌等に載せたことがあるのか? あるいは誤字?) |
校 | p132 | 初版と同じ |
八 | p206下 | 松村真澄録) |
愛 | p130 | 初版と同じ |
R | 初版と同じ「再録」(2020/5/16までは「録」) |
八 | p210下 | しるべすと醜の物知りなかなかに |
愛 | p141 | しるべしと醜の物知りなかなかに |
R | 愛世版と同じ |
初 | p183(第15章) | 『権威のある所には自然に不従順の傾向あり』と宜なる哉、 |
校 | p157 | 「権威のあるところには自然に不従順の傾向あり」と。宜なるかな、 |
八 | p215下 | 校定版と同じ |
愛 | p153 | 初版と同じ |
R | 校定版と同じ(句点があった方が意味が通る) |
八 | p218上 | 誠の元の生神は、この沓島、冠島に集まりてござるぞよ |
愛 | p159 | 誠の元の活神は此沓島冠島に集まりて御座るぞよ |
R | 愛世版と同じ |
八 | p218下 | 災多き暗がりの世は、誠の生神より外に |
愛 | p160 | 災多き暗がりの世は誠の活神より外に |
R | 愛世版と同じ |
初 | p210(第16章) | 山上見かけて駆け登るあり、 |
校 | p178 | 初版と同じ |
八 | p224上 | 山上目がけて駆け登るあり、 |
愛 | p173 | 初版と同じ |
R | 初版と同じ(「山上目がけて」の方が現代人には解りやすいが、「山上を見かけて」という意味なのかも知れない) |
初 | p215(第16章) | 沓島を見(み)がけて漕ぎ寄せて来る。 |
校 | p182 | 「見(め)がけて」 |
八 | p225下 | 「見がけて」(振り仮名なし) |
愛 | p177 | 「目(め)がけて」 |
R | 愛世版と同じ |
初 | p264(第21章) | サツパリ霊(みたま)がねぢけて了うて |
校 | p225 | サツパリ魂(みたま)がねぢけてしまうて |
八 | p242上 | 校定版と同じ |
愛 | p221 | 初版と同じ |
R | 初版と同じ |
八 | p243下 | 店から三百匁ほど上等を持つて来て、 |
愛 | p225 | 店から三百目ほど上等を持つて来て、 |
R | 愛世版と同じ(目は匁の略) |
八 | p248上 | 昼夜間断なく「ウンウン」唸つて苦しんでゐた。西田が |
愛 | p237 | 昼夜間断なくウンウン唸つて苦んでゐた。そこで西田が |
R | 愛世版と同じ |
初 | p315(第25章) | 神宮官庁から頼まれて、副管長格の主事といふ役を |
校 | p267 | 初版と同じ |
八 | p257下 | 初版と同じ (電子ブック版は「神宮管長」になっている) |
愛 | p261 | 初版と同じ |
R | 初版と同じ |
八 | p257下 | 御祭神が国常立尊であるのと、 |
愛 | p261 | 御祭神が国常立命であるのと、 |
R | 愛世版と同じ |
八 | p262上 | 内藤正照と愛染坂の麓で神様を祀り、 |
愛 | p273 | 内藤正照と愛善坂の麓で神様を祀り、 |
R | 愛世版と同じ |
初 | p331(第26章) | これで海潮も改心をして(中略)これで海潮サンも気がつくだらう』 |
校 | p280 | これで会長も改心をして(中略)これで会長サンも気がつくだらう』 |
八 | p262下 | 校定版と同じ |
愛 | p274 | 初版と同じ |
R | 初版と同じ |
初 | p356(第28章) | 途中澄子は産婦に免がれがたきツワリで |
校 | p301 | 途中澄子は妊婦に免がれがたきツワリで |
八 | p270上 | 校定版と同じ |
愛 | p293 | 初版と同じ |
R | 初版と同じ(「妊婦」は妊娠している女性、「産婦」は出産前後の女性のことなので、「産婦」でも問題ない) |
初 | p357(第28章) | 其年の六月の八日に教祖は会長、澄子其他四十人計りの信者と共に沓島へ渡り、 |
校 | p301 | その年の旧六月八日に教祖は会長、澄子その他四十人ばかりの信者と共に沓島へ渡り、 |
八 | p270上 | 校定版と同じ |
愛 | p294 | 初版と同じ |
R | 【重大】「旧六月の八日」(もし新暦と解するなら、明治34年(1901年)新暦6月8日は旧暦4月22日になるので、出雲へ向けて出発した「旧五月十六日」(本章冒頭)より前になってしまう。旧5月16日=新7月1日、旧6月8日=新7月23日) |