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2020年2月15日 (土) 23:59時点における版
天明山別院(てんめいざんべついん)とは、第二次大戦前に奈良県・生駒山中にあった大本の施設。
- 大正9年(1920年)10月24日、天明山別院地鎮祭。王仁三郎ほか300名が参列。[1]
- 大正12年(1923年)8月5日、天明山別院の神殿落成鎮座祭執行。[1]
- 大正14年(1925年)2月24日、天明山を地恩郷と命名する。[1]
地鎮祭に関して『神霊界』誌に、「足跡」と題した、次のような王仁三郎の署名記事(日付は大正9年10月31日)がある。(現代仮名遣いに直した)
十月二十四日大和国の天明山神殿建築地の地鎮祭挙行のため、王仁以下数名祭員として登山した。会するもの三百余名、それにその筋では万一の警戒にと、十数名の警官が登山臨検になった。こうなると、大本も実に立派なものである。官費を以て保護なし下さるかと思えば、実に御本尊の神様の保護のように、有り難くなって来た。天明山はその名の如く、天(てん)明(あき)らけく地(ち)治まる天の岩戸が開けたのである。
次には大本の事業として、六甲山脈の大月山に、神殿を建設する事になった。ここに月の大神月光如来を祭る月球殿を、造営する神界の経綸である。
次には大本の事業として、六甲山脈の大月山に、神殿を建設する事になった。ここに月の大神月光如来を祭る月球殿を、造営する神界の経綸である。
出典:『神霊界』大正9年(1920年)11月11日号p102(現代仮名遣いに直した)
場所は、現在の奈良県生駒郡平群町大字櫟原の辺りの山中らしい。