差分

Jump to navigation Jump to search

生国魂神社

2,868 バイト追加, 2024年6月9日 (日)
ページの作成:「'''生国魂神社'''(いくくにたまじんじゃ)は、大阪市にある神社。通称「いくたまさん」。出口王仁三郎は明治35年、大阪…」
'''生国魂神社'''(いくくにたまじんじゃ)は、大阪市にある神社。通称「いくたまさん」。[[出口王仁三郎]]は明治35年、大阪宣教の際にこの神社に朝夕参拝した。

== 概要 ==
* 鎮座地:大阪市天王寺区生玉町13-9
* 主祭神:生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)
* 旧社格:官幣大社
* 正しい表記は「'''生國魂神社'''」。王仁三郎文献では「'''生魂神社'''」「'''生玉神社'''」と記されている場合もある。

== 出口王仁三郎との関わり ==
=== 明治35年大阪宣教 ===
[[出口王仁三郎]]は明治31年(1898年)春に大阪へ初めて宣教に出かけるが成果が出ずに帰郷した。明治35年(1902年)夏、二度目の大阪宣教に出た。その時、生国魂神社に朝夕参拝していたことを歌に詠んでおり、歌集『[[百千鳥]]』に収録されている<ref>『[[百千鳥]]』(昭和52年、天声社)167、179~180頁。</ref>。
* 水煙の都の夏の夕暮をわれ生魂に神言宣りぬ
* 浪速なる産土神の生魂社に祈れば心清しくなりぬ
* 生魂の宮の朝をたたずめば杜のしげみに烏なくなり
* 家鶏の声町家の軒より聞えくる生魂神社の朝の清しさ
など。

=== 昭和8年天祥地瑞口述 ===
生国魂神社の500メートルほど北東にあった[[大阪分院]]<ref>[[大阪分院]]は昭和7年(1932年)1月5日に西区薩摩堀西ノ町7番地に開設されたが、昭和8年(1933年)1月29日に天王寺区東高津北ノ町33番地(現・天王寺区城南寺町8番)に移転した。『[[大本大阪本苑八十年誌]]』89頁、92~93頁</ref>の[[蒼雲閣]]で、昭和8年(1933年)12月に[[天祥地瑞]]の[[第77巻]]及び[[第78巻]]を口述している。(生国魂神社に参拝していたかどうかは不明)

=== 昭和9年昭和神聖会 ===
昭和9年(1934年)8月19日、大阪の中之島公会堂で[[昭和神聖会]]大阪地方本部発会式が行われ、王仁三郎は統管として臨席した。祝宴後に王仁三郎は随員十数名を伴い、生国魂神社に参拝した。<ref>『[[大本史料集成]]2』収録「{{obc|B195502c22051|総本部日記}}」</ref> <ref>中之島公会堂から生国魂神社まで4キロほど離れている。</ref>

== 外部リンク ==
* [https://www.ikutamajinja.jp/ 難波大社 生國魂神社](公式サイト)
* <wp>生國魂神社</wp>
* [https://we-love-osaka.jp/ikutamasan/ 【大阪最古】日本の中心は浪速にあり!日本国土そのものの神を祀る生國魂神社] - 大阪の情報サイト We♥大阪

== 脚注 ==
<references/>

{{デフォルトソート:いくくにたましんしや}}
[[Category:神社]]

案内メニュー