出口総裁歌碑集

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
2024年7月29日 (月) 18:34時点におけるIHiroaki (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
Jump to navigation Jump to search

出口総裁歌碑集(でぐちそうさいかひしゅう)は、出口王仁三郎の歌碑の写真集。33基[1]の歌碑が掲載されている。

表紙や扉には「出口総裁歌碑集(一)」とあり、第一巻目であることが記されているが、二巻目以降は発行されていないようである。

概要

題名 出口総裁歌碑集
編輯者 明光社
発行者 大国以都雄
印刷兼取扱所 智照館
発行日 昭和10年(1935年)1月10日
頁数
定価 非売品
OBN 1233
備考

目次

昭和9年10月までに建立された33基の歌碑が掲載されている。→「出口王仁三郎の歌碑」参照

標題 写真 所在地/建立日
出口総裁肖像 出口王仁三郎2.jpg
天恩郷神声歌碑[2] 天恩郷の神声歌碑と懐古歌碑.jpg 京都府亀岡町天恩郷東光苑
昭和8年11月25日
綾部鶴山歌碑 綾部鶴山歌碑.jpg 京都府綾部町本宮山
昭和6年9月8日
穴太神聖歌碑(一) 穴太神聖歌碑(一).jpg 京都府南桑田郡曽我部村大字穴太小字宮垣内三十五番地 玉水苑
昭和9年8月23日
穴太神聖歌碑(二) 穴太神聖歌碑(二).jpg 同上
同上
北海別院神生歌碑 北海別院神生歌碑.jpg 北海道石狩国空知郡山部市街地 皇道大本北海別院万祥苑内
昭和7年5月23日
北海別院要巌歌碑 北海別院要巌歌碑.jpg 同上
昭和8年9月13日
島根八雲山歌碑 八雲山歌碑.jpg 島根県大原郡海潮村大字須賀字高ツバ二〇五一
昭和8年10月10日
島根別院憧憬歌碑 島根別院憧憬歌碑.jpg 松江市北堀町赤山二六三番地 皇道大本島根別院
昭和7年12月20日
島根別院赤山歌碑 島根別院赤山歌碑.jpg 同上
同上
島根別院風景歌碑 島根別院風景歌碑.jpg 同上
同上
但州別院歌碑(一) 但州別院歌碑1.jpg 兵庫県出石郡神美村倉見字舟山 皇道大本但州別院
昭和8年4月22日
但州別院歌碑(二) 但州別院歌碑2.jpg 同上
昭和8年11月12日
神刕別院白雲歌碑 神刕別院白雲歌碑.jpg 鳥取県西伯郡日吉津村大字富永水明郷 皇道大本神刕別院
昭和8年4月20日
筑紫別院大道歌碑 筑紫別院大道歌碑.jpg 小倉市赤阪字大山 皇道大本筑紫別院
昭和8年11月8日
筑紫別院国光歌碑 筑紫別院国光歌碑.jpg 同上
同上
九州別院歌碑 九州別院歌碑.jpg 熊本県鹿本郡吉松村豊田 皇道大本九州別院神苑鏡ノ池
昭和8年9月8日
佐世保別院三六歌碑 佐世保別院三六歌碑.jpg 佐世保市白南風町一八三 皇道大本佐世保別院
(建立日は未記載だが大本年表によると昭和9年9月26日)
有田分院五六七歌碑 有田分院五六七歌碑.jpg 佐賀県西松浦郡有田町字中開 皇道大本有田分院
昭和9年9月27日
東山分院霊泉歌碑 東山分院霊泉歌碑.jpg 栃木県那須郡馬頭町大字和見 皇道大本東山分院
昭和9年2月25日
関東別院歌碑 関東別院歌碑.jpg 横浜市中区瀧の上 皇道大本関東別院
昭和9年5月23日
東京天王山歌碑 天王山歌碑.jpg 東京市渋谷区幡ヶ谷中町一四一〇 皇道大本天王山支部
昭和9年5月5日
北陸別院言霊歌碑 北陸別院言霊歌碑.jpg 石川県能美郡月津村字月津新 皇道大本北陸別院
昭和9年9月3日
能登別院皇道歌碑 能登別院皇道歌碑.jpg 石川県鳳至郡諸橋村古君 皇道大本能登別院
昭和9年9月6日
台湾別院草山歌碑 台湾別院草山歌碑.jpg 台湾台北州七星郡士林庄草山 皇道大本台湾別院
昭和8年8月8日
基隆別院歌碑 基隆別院歌碑.jpg 台湾基隆市幸町一丁目三九ノ一 皇道大本基隆別院
昭和8年9月20日
新居浜分院歌碑 新居浜歌碑.jpg 愛媛県新居郡新居浜町惣開 皇道大本新居浜分院
昭和9年9月18日
中国別院向山歌碑 中国別院向山歌碑.jpg 岡山県赤磐郡万富村 皇道大本中国別院向山
昭和9年10月31日
大島神声歌碑 喜界島神声歌碑.jpg 鹿児島県大島郡喜界村大字坂嶺字宮原山
昭和7年12月19日
綾部熊野神社歌碑 熊野神社歌碑.jpg 京都府綾部町熊野神社境内
大正10年1月
京都八木歌碑 八木歌碑.jpg 京都府船井郡八木町福島方
昭和9年4月18日
東北別院歌碑 東北別院歌碑.jpg 山形県飽海郡西遊佐村藤崎 皇道大本東北別院
昭和7年11月22日

外部リンク

脚注

  1. 天恩郷の三基の歌碑は1頁として扱われているため頁数としては31頁。
  2. 標題の「神声歌碑」は三基のうち中央の「教歌碑」を指すようである。ただし両側の二基(追懐歌碑)も歌碑である。→「天恩郷の三基の歌碑