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琉球

1,016 バイト追加, 2024年6月4日 (火)
琉球の国魂石
山川はそれの意味も尋ねずに、大切なものとして錦の袋に入れて持っていた。亀岡で奉仕していたが、第二次大本事件により夫の生家がある鳥取に帰る。警察に大本関係の物を押収されたが、王仁三郎から渡された二個の石はタンスの底に隠していたため警察に持って行かれずに済んだ。やがて山川は原因不明の病気にかかる。夫も困り果て、吉野の修験者にみてもらうと、「お宅の奥さんは二個の宝物を持っていられる。それを祭ればすぐ治る」と言われた。修験者は滝に打たれて「[[豊玉姫]]」と神名を告げ、「因縁によって祭ってくれ」ということなので、山川は二個の石をお宮に入れて祭った。すると病は治り元気になった。
昭和18年、鳥取で大地震が起きる<ref>1000名以上の死者を出した昭和18年9月10日の鳥取地震。『[[新月の光]]』によると、このとき王仁三郎は〈[[大本農園]]の[[有悲閣]]の二階の窓から鳥取方面に向かって鎮魂を一生懸命された〉〔『新月の光』0583「鳥取の震災を鎮魂」〕。</ref>。王仁三郎から亀岡へ来るよう連絡が来たので、石を持って亀岡に帰る。王仁三郎に修験者の話をすると、「それは神懸かりである。大本でも豊玉姫様はお祭りしてある。お祭りせよ」と言うので、あらためて祭りかえた。。王仁三郎から亀岡へ来るよう連絡が来たので、石を持って亀岡に帰る<ref>[[出口和明]]によると、〈この地震で、鳥取で手広く玩具の問屋と小売り、また軍に納入する石鹸の製造をしていた[[山川石太郎]](明治三七年出生)の家と蔵は全壊した。 おりから(略)国魂石(豊玉姫大神)の月次祭の最中だった。妻日出子は、柱の間から、壊れた神床と飛び出たお宮が目前にあるのを見て、手をさしのべ、宮の中の二ヶの国魂石をつかんでふところに入れた。(略) 王仁三郎は「すぐ亀岡へ戸籍ごと移ってこい」と言う。商売に未練を残す石太郎だったが、三人の男を連れて後始末に駆けつけた伊佐男の強い勧めで、ついに亀岡へ。 「良かった、良かった。震災がなかったら、亀岡へはよう来んかったやろ」と王仁三郎。〉〔『[[神の国]]』平成13年(2001年)11月号、出口和明「落胤問題を実証する(七)」、36~37頁〕</ref>。王仁三郎に修験者の話をすると、「それは神懸かりである。大本でも豊玉姫様はお祭りしてある。お祭りせよ」と言うので、あらためて祭りかえた。
王仁三郎の昇天後、ふと石のことが気になり、二代教主([[出口澄子]])に伺うと、即座に「琉球の国魂の大神ととなえて、沖縄をもっともっとご守護してくだされと祈れ」と言う。

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