コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
王仁DBで検索
Googleで検索
カテゴリから探す
最近作られたページ
最近の更新
おまかせ表示
編集者用
著作権について
Onipedia
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
天恩郷の三基の歌碑のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
天恩郷の三基の歌碑
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、次のグループに属する利用者のみが実行できます:
登録利用者
。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[ファイル:天恩郷の神声歌碑と懐古歌碑.jpg|thumb|昭和8年に建立された教歌碑(中)と懐古歌碑(左右)。]] [[ファイル:天恩郷の東光苑歌碑.jpg|thumb|]] [[ファイル:天恩郷の三基の歌碑2007.jpg|thumb|戦後再建された教歌碑(中)と懐古歌碑(左右)。2007年11月撮影。]] '''天恩郷の三基の歌碑'''(てんおんきょうの さんきの かひ)とは、昭和8年(1933年)11月25日に[[天恩郷]]内に建立された三基の歌碑のことである<ref>「天恩郷の三基の歌碑」という固有名詞なのではなく、オニペディアにおいて便宜的に名付けただけである。</ref>。かつては「'''東光苑歌碑'''」と呼ばれていた。[[第二次大本事件]]で破壊されたが、戦後三基とも再建された。 == 名称 == 中央の一基を「'''教歌碑'''」と呼び、左右の二基を「'''懐古歌碑'''」と呼ぶ。ただし名称は一定していない。下記のように教歌碑を「教碑」「神声歌碑」と呼んだり、懐古歌碑を「追懐歌碑」と呼んでいる場合もある。 * 『[[神の国 (1921)|神の国]]』昭和9年2月号93頁に〈天恩郷の歌碑は中央を「教碑」左右を「追懐碑」とそれぞれ今度聖師によつて命名された〉とある。 * 『[[大本写真大観]]』(昭和9年8月刊)<ref>みいづ舎復刻版では136頁</ref>では三基全体を「東光苑歌碑」と呼び、中央を「教碑」、左右を「懐古歌碑」と呼んでいる。 * 『[[出口総裁歌碑集]]』(昭和10年1月刊)では「神声歌碑」「懐古歌碑」と呼んでいる。 * 『[[出口王仁三郎全集]] 第七巻(歌集)』(昭和10年8月刊)<ref>口絵写真、及び本文2頁</ref>では「教歌碑」「追懐歌碑」と呼んでいる。 * 「皇道大本 綾部総本部 亀岡本部 見取図」<ref>『[[大本写真大観]]』みいづ舎復刻版の付録として付いている第二次大本事件裁判資料。8頁に亀岡本部の見取図がある。</ref>では「神声歌碑」「懐古歌碑」と呼んでいる。 名称は戦後も一定していない。 * 「[[大本年表]]」の昭和8年11月25日の項<ref>『[[大本教学 (教学誌)|]] 第13号』収録「大本年表(七)」</ref>では「教歌碑」「追懐歌碑」と呼んでいる。 * 「[[大本年表]](まつのよ6号付録)」<ref>平成15年(2003年)発行</ref>では「神声歌碑」「懐古歌碑」と呼んでいる<ref>昭和8年、昭和37年・46年再建、3ヶ所とも。</ref>。 * 『[[大本七十年史]] 下巻』(昭和42年刊)では「教碑」「懐古歌碑」と呼んでいる場合が多いが<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5229|内外多事}}」など</ref>、「教碑」「追懐碑」と呼んでいる場合もある<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref>。 現在の大本教団では「教歌碑」「懐古歌碑」と呼んでいるようである<ref>【例】天恩郷のパンフレットや、『みろくのよ』平成24年(2012年)4月号、21頁「現在の東松林には、南向きに教歌碑(中央)と懐古歌碑(左右に一基ずつ)が立っていた」。</ref>。 本項では現在の大本教団に準拠して「教歌碑」「懐古歌碑」と呼ぶことにする。戦前は三基全体を「'''東光苑歌碑'''」と呼んでいたようだが、現在は、三基全体を呼ぶ時には「教歌碑・懐古歌碑」と呼んだり、代表して「教歌碑」と呼んだりするようである。本項の「天恩郷の三基の歌碑」という呼び方は、記事を書くために便宜的に付けた名前である。 == 歌 == '''【教歌碑(中央)】''' 鶴山に妻は錦の機を織り吾亀岡に万代を教ふ '''【懐古歌碑(右)】''' いとけなき頃は雲間に天守閣白壁はえしを懐かしみけり 旧城跡落ちたる瓦の片あつめ城のかたちを造りて遊びぬ '''【懐古歌碑(左)】''' 玉の井の池に湧き立つ真清水はみつの三魂の命なりけり 寝ながらに月を仰ぎしあばら家のむかしの住居吾眼に新らし (『[[出口王仁三郎全集]] 第七巻』「{{obc|B121807c03|巻上}}」にフリガナ付きの歌が掲載されている) == 略史 == * 昭和8年(1933年)11月25日(旧10月8日):天恩郷の東光苑に建立された教歌碑と追懐歌碑二基、計三基の除幕式が行われた。同じ日に、月照山山麓に建立された[[前田夕暮]]の歌碑の除幕式も行われている。どちらの除幕式も大勢の歌人が参列して行われた。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5229|内外多事}}」</ref> <ref>『神の国』昭和9年(1934年)1月号125頁</ref> * [[第二次大本事件]]で破壊される。 * 昭和37年(1962年)8月7日、教歌碑が再建される。(大本開教70年記念) * 昭和46年(1971年)8月6日、二基の懐古歌碑が再建される。(王仁三郎生誕100年記念) 戦後再建された三基の歌碑が建っている場所は、戦前の歌碑の位置とは少し異なる。 == ギャラリー == <gallery> ファイル:出口王仁三郎(東光苑歌碑前).jpg|昭和10年(1935年)4月、東光苑歌碑の前にて。 ファイル:天恩郷の三基の歌碑2012-1.jpg|三基の歌碑(2012年8月撮影) ファイル:天恩郷の三基の歌碑2012-4.jpg|左側の懐古歌碑 ファイル:天恩郷の三基の歌碑2012-2.jpg|中央の教歌碑 ファイル:天恩郷の三基の歌碑2012-3.jpg|右側の懐古歌碑 </gallery> == 関連項目 == * [[本宮山の三基の石碑]] * [[出口王仁三郎の歌碑]] == 脚注 == <references/> {{デフォルトソート:てんおんきようのさんきのかひ}} [[Category:天恩郷の歌碑|*]] [[Category:天恩郷]] [[Category:出口王仁三郎の歌碑]]
このページで参照読み込みされているページ:
テンプレート:Obc
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Obc000
(
ソースを閲覧
)
天恩郷の三基の歌碑
に戻る。
検索
検索
天恩郷の三基の歌碑のソースを表示
話題を追加