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[[ファイル:更生館を訪れた僧侶たち.jpg|thumb|更生館。昭和7年。]] '''更生館'''(こうせいかん)は、[[王仁三郎]]の更生(還暦)を祝って[[天恩郷]]に建設された作品展示施設。 == 概要 == 昭和6年(1931年)8月25日(旧7月12日)、王仁三郎は満60歳を迎え、綾部の[[五六七殿]]で[[更生祭]]が盛大に行われたが、その前日(8月24日)に更生館の竣成式が行われた。 {{Inyou|聖師の更生をいわって、全信徒の手で天恩郷に更生館が新築された。更生館は「大」の字をかたどった神殿様式で、間口二二メートル・奥行五〇メートルが、銅板ぶきのおおきな建物である。これは[[宗教博]]の大本館を模して、さらにそれを拡大美化したものであった。内部には[[開祖]]の遺品や聖師の作品をはじめ、一見して大本の概要がわかるように、出品や展示に工夫がこらされ、その一隅には聖師の画室ももうけられた。更生館の新設は天恩郷に偉観をそえたばかりでなく、館内の展示物は参観者に便宜をあたえた。|『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5133|梅花運動}}」}} この画室は昭和7年2月1日に建設されたようである。「[[みろく亭]]」と名付けられた。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref> 「大」の字をかたどったことについて王仁三郎は次のように述べている。 {{Inyou|宇宙と云へば、世人皆大きな世界と云ふ意味に承知して居るやうであるが、さうでは無い。宇宙は大の字の形をして居るので、それで大宇宙といふのである。大の字は又人間の形である。頭があり、両手両足があり、胴がある形だ。更生館は新たに生れた事を記念する為めに大の字の形に造つたのである。|{{kgm|610|大宇宙}} }} 更生館は霊界物語[[天祥地瑞]]篇の口述場所としても使われており、{{rm|75|10|祈り言}}と{{rms|75|11|魂反し}}の2章は昭和8年11月26日に更生館で口述されている。 また、昭和9年(1934年)2月5日に[[入蒙記念展覧会]]が<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c52211|多彩な大本}}」</ref>、同年8月には[[皇道宣揚展覧会]]が<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5307|指導精神の統一}}」</ref>更生館で開催されている。 他の建物同様、[[第二次大本事件]]で破壊されたが、戦後その跡地に王仁三郎の[[歌碑]]「鶴山に妻は錦の機を織り吾亀岡に万代を教ふ 王仁」が建てられた。昭和37年(1962年)8月7日(大本開教70周年の瑞生大祭の日)に歌碑の除幕式が行われている。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c8606|記念式典と行事}}」</ref> == 脚注 == <references/> {{デフォルトソート:こうせいかん}} [[Category:天恩郷]] [[Category:霊界物語の口述地]]
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