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昭和青年会
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{{kakikake}} '''昭和青年会'''(しょうわせいねんかい)は、[[大本]]の関連組織。昭和4年に結成された。[[第二次大本事件]]によって解散処分となった[[大本八団体]]の一つ。略称「昭青」。 == 概要 == 昭和4年(1929年)の初め頃、[[天恩郷]]内で昭和青年会が結成された。その動きが広がり昭和6年(1931年)8月には、地方に28の昭和青年会が組織された。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5133|梅花運動}}」</ref> 「昭和青年会」の名称は[[出口王仁三郎]]が命名したものだが、青年信徒の自発的組織であり、当初は全国的な組織ではなく、地方名を冠した「○○昭和青年会」という形で地方組織が作られて行った。<ref>『[[昭和青年]]』昭和5年(1930年)8月号p43「全国青年信徒諸君へ」と題する「昭和青年会」名の文章に次のように記されている。〈十人でも十五人でも青年の集まつてゐる所に青年会を作つて下さい。そして例へば「京都昭和青年会」「大阪昭和青年会」といふ具合に下に「昭和青年会」をつけて頂けば結構です。「昭和青年会」の会名は、聖師様から頂いたのですから。〉</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5211|人類愛善と青年の動き}}」:〈亀岡昭和青年会が成立したのは一九二九(昭和四)年初めのことで(略)聖師によって「昭和青年会」と命名された。当初は、青年奉仕者の親睦と奉仕活動に力をそそぎ、教義の研鑚と、信仰の向上を目標とした性格のものであった。組織としては統務部・雑誌部・弁論部などがあり、一応の組織体制が整えられたが、まだ実際には青年雄弁会を開催するくらいのものであった。亀岡に青年の組織が生れたのをきっかけに、松江・東京・綾部・松山・京都など、つぎつぎとその地名を冠した青年会が誕生した。〉</ref> 昭和5年(1930年)5月に機関誌『[[昭和青年]]』が創刊された。最初はガリ版刷りの簡素なものであったが、3号目(8月号)から王仁三郎の資金補助で活字印刷されるようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5211|人類愛善と青年の動き}}」:〈昭和青年会としての雑誌の発行は昭和五年五月からで〉</ref> 昭和6年(1931年)10月18日(旧9月8日)、それまで各地に作られた昭和青年会は解散し、あらためて全国統一組織の昭和青年会が設立された。王仁三郎が会長となり(それまでは[[宇知麿]]が会長だった)、[[宇知麿]]と[[東尾吉雄]]が会長補になった。本部は天恩郷に置かれ、綾部には主部が、各地に支部が置かれた。従来のように青年層だけを対象としたものではなく、15歳以上の男女なら壮年、老年でも会員になることが出来た。<ref name="B195402c5215">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5215|昭和青年会の改組}}」</ref> 同年9月18日に勃発した[[満州事変]]以降、時局は切迫して行った。11月11~15日に開かれた[[大本大祭]]にて本部は「いよいよ大峠の重大時期に際会した」という所見を発表した<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5214|大本本部の指導態度}}」</ref>。このような情勢の中、昭和青年会は〈非常時を背景に青年の情熱を結集して団結をはかり、会長の指示を即時実行するという団体〉<ref name="B195402c5215" />として改組された。 大本大祭期間中の11月13日に昭和青年会の第一回総会が天恩郷で開かれ、王仁三郎は訓話の中で、会名の「昭和」の意味について、また会員制限を取り払ったことについて次のように述べている。 {{inyou| 昭和青年会といふ名称を附したのは丁度現在の年号が昭和でありますから、昭和青年会ともいふことが出来ますが「昭和」の「昭」は日月《じつげつ》天に昭々《せうせう》として輝き玉ふの「昭」をとつたのでありますし、「和」とは和合、団結力、和魂《にぎみたま》の意であります。(略)吾々は此の日本を初め、世界各国にむかつて堂々と昭《あき》らかに主義を主張し、そして団結して日本の為に或は東洋平和の為に,世界平和の為めにあらん限りの努力を尽したいといふ考へから、「昭和青年」といふ名を付けたのであります。そして『我等は前途洋々たる昭和の青年なり』といふ一ツのモツトーをこしらヘたのであります。(略) 私が更生祭をして六十一才の赤い着物をきた赤ん坊になりまして、その赤ん坊がいよいよ青年会に飛び出したのでありますから、余程世の中は必要に迫られてゐることを、これをもつても考へられることと思ひます。 今までの会員は十五才以上卅才以下とかいふ様な制限をつけて居つたのですが、今度はさういふ制限を上《うへ》に対して、もうけなかつたのは──元来吾々神に奉仕をするものには年齢はない筈であります。神の方から言へば時間空間を超越してゐるのである。只この世の中に早く生れて正月の餅を余計喰つたか、少し喰つたか丈けの違ひであつて、年といふ様なことを考へて居つたならば何も出来ない。 私は蒙古に行つた。処が蒙古人に年を尋ねた時に蒙古人は『年齢《とし》を尋ねて何になるか、又年齢《とし》を覚へて居つて何になるか』と答へた。私は蒙古人の中にも、そんな変屈があるかと思つて次々に四五遍位同じことを聞いて見ましたが、四、五人のものがみな同じ答へを致しました。そこで私も大いに得る処があつて、『これは自分の年を考へて居る様なことではいかん。よう考へて見ると廿才の青年でも廿五才でなくなれば──吾々が八十才まで或は百才まで生きられるとなると、こちらの方が若いのである。』さういふ風な考ヘになつたのであります。|『[[昭和青年]]』昭和7年(1932年)1月号、72~73頁、{{obc|B195502c2202062|栄光あれ! 昭和青年 ──第一回総会録記──}} }} つまり昭和青年会の「昭和」とは「世界に向かって'''昭'''らかに主義を主張し、'''和'''合(団結)して世界平和のために努力して行く」という意味であり、年齢制限を取り払ったのは「神に奉仕する者には本来、年齢は無く、神の方から見れば時間空間を超越しているから」ということである。(ただし王仁三郎は[[昭和神聖会]]設立後に「昭和」の意味を〈全世界の国々が太陽国の出現を待望し、全地上の青人草が天日の大光明を渇仰することを象徴したもの〉だと説明している<ref>『[[惟神の道]]』「{{obc|B123900c097|昭和神聖の意義}}」:〈昭和神聖会の「昭」といふ字は日を召すと書く。「和」といふ字は禾扁に国と書く。禾扁に国は、豊葦原の瑞穂国即ち全世界といふ意味なのである。故に「昭和」といふのは、全世界の国々が太陽国の出現を待望し、全地上の青人草が天日の大光明を渇仰することを象徴したものである。〉</ref>) 昭和青年会の目的は「[[人類愛善]]の大精神に基づき、昭和の大神業のために献身的活動奉仕を為す」ことだと会則に定められた。<ref>『[[昭和青年]]』昭和7年(1932年)1月号p77:昭和青年会会則第二条〈本会ハ人類愛善ノ大精神ニ基キ昭和ノ大神業ノタメ献身的活動奉仕ヲナスヲ以テ目的トス。〉</ref> [[ファイル:昭和青年会の旗.jpg|thumb|昭和青年会の旗]] 会章には[[日地月星]]を象った紋様が定められたが、従来の[[宇宙紋章]]とは配色が一部異なっている。内側から、緑の五芒星、赤い円、白い円、黄色の円という配色になっている。この会章の意味について[[出口宇知麿]]は次のように説明している。〈中央の緑星は平和、希望を現はすと共に大神人を象れるものであり、次いで愛善の赤陽、信真の日月を内にして、最外周に黄を以て大地を配されてゐる。大地は現実的活動を意味するものであつて、特に之が第一表面に顕はれねばならぬものであると思はれる〉<ref>『[[昭和青年]]』昭和7年(1932年)1月号p125、「[[鮮月]]」(宇知麿の雅号)名で書かれた「昭和青年会会章の説明」</ref>。 昭和7年(1932年)3月1日、[[満洲国]]が建国された。翌4月の[[みろく大祭]]において[[出口宇知麿]]は〈今や国を挙げて国を護れ、国を愛せよのこの叫びは高くなつてまゐりました。神の国の民として生くるべく常に神の教に進んで居るところの吾々大本信徒こそは、奮然起って大いに愛国の精神を喚起し、誠の活動をしなければならないのであります〉と述べた。昭和青年会を含め大本の活動はますます愛国的色彩を帯びるようになって行く。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5221|非常時と愛国運動}}」:〈そして瑞祥会連合会長会議に「愛国運動の方法」が提案審議され、ますます大本および人類愛善会・昭和青年会の動きは、非常時意識にもとづく愛国的色彩を濃厚にしてゆくことになる。〉</ref> <書きかけ> 昭和7年(1932年)春頃から[[防空運動]]を始める。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5223|昭和青年会と防空運動}}」</ref> →「[[ウィリアム・ミッチェル#大本の防空思想]]」 昭和7年(1932年)11月10日から[[挙国更生運動]]を始める。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5222|挙国更生運動}}」</ref> 昭和9年(1934年)3月上旬号で[[人類愛善新聞]]の百万部発行を達成。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5301|創立にいたるまで}}」</ref> == 略史 == 〔特記なきものは「[[大本年表]]」をもとに作成〕 【昭和5年(1930年)】 * 5月25日:機関誌『[[昭和青年]]』創刊。 * 11月25日:第一回全国青年会全国大会開催。 【昭和6年(1931年)】 * 5月9日:昭和青年会の会則制定。 * 10月18日:[[天恩郷]]に昭和青年会の本部設置(従来の各地方青年会は解散)。王仁三郎が会長に、宇知麿が会長補となる。 * 11月13日:会則改正。天恩郷で第一回総会開催。 * 12月:[[出口日出麿]]が昭和青年会の責任会長に就任。<ref>「責任会長」とは実務の最高責任者という意味だと思われる。</ref> 【昭和7年(1932年)】 * 6月3日:昭和青年会の会服を制定。 * 8月15日:昭和青年会の第一回分列式。 * 8月23日:規約改正。総裁に王仁三郎、総裁補に日出麿、責任会長に宇知麿が就任。航空部・訓練部が新設される。<ref name="B195402c5223">『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5223|昭和青年会と防空運動}}」</ref> * 9月13日:会則を改訂し新役職として「管掌」を設ける。 * 9月15日:亀岡で会服を着用した一中隊を先頭に満州国家承認祝賀提灯行列。 * 10月7日(旧9月8日):分列式で王仁三郎が訓示。[[昭和青年会会歌]]「若人のふるひ起つべきときは来ぬわかき日本の春はちかめり」制定。 * 11月1日:信者の女性を結集する組織体として[[昭和坤生会]]が、昭和青年会から分離して結成される。総裁・出口王仁三郎、会長・二代教主[[出口澄子]]、会長補・[[出口直日]]。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5225|昭青・坤生会等の諸体制}}」</ref> * 11月3日:亀岡・東光苑にて昭和青年会の査閲分列式を挙行。全国からの参加725名。 * 11月10日:昭和青年会に音楽部を設置。シンフォニー・オーケストラ部、コンサート・オーケストラ部、ブラスバンド部、ハーモニカ・バンド部、声楽部、作曲・編曲部の6部門。 * 12月:機関誌『[[昭和青年]]』の題名を12月号から『昭和』に改題。 【昭和8年(1933年)】 * 2月5日:天恩郷にて昭和青年会・昭和坤生会の分列式が行われる。会員1023名が参加。 * 4月10日:岡山県での国防展覧会に昭和青年会航空部が「航空展」を出展。 * 7月29日:天恩郷にて昭和青年会が防毒マスク使用の非常時訓練を実施。 * 8月5日:天恩郷にて昭和青年会・昭和坤生会・昭和少年隊の査閲分列式。 * 8月24日:昭和青年会の遊説部が「農村慰安の夕」を開催。 * 11月28日:京都・岡崎公会堂にて愛国団体近畿国民大会に昭和青年会が参加。 * 12月4日:この日から、昭和青年会主催の「皇道講座」を全国各地で開催。 【昭和9年(1934年)】 * 1月8日:[[東光苑]]にて昭和青年会の査閲分列式。 * 3月10日:陸軍記念日。東光苑にて分列式。 * 4月20日:東光苑にて昭和青年会・昭和坤生会の国旗掲揚式並びに査閲分列式。 * 8月31日:昭和青年会が亀岡から東京に移転する。([[昭和神聖会]]と同じ四谷区愛住町76番地→「[[四谷]]」参照) 【昭和10年(1935年)】 * 1月19日:昭和青年会・昭和坤生会に「正式集会には必ず会服着用のこと」と全国通達。 * 2月4日:この日以降、昭和神聖会・昭和青年会・昭和坤生会の共同主催で「[[皇道宣揚展]]」を全国各地で開催。 * 2月6日:東光苑にて昭和青年会・昭和坤生会の総隊訓練、638名参加。 * 3月27日:国際連盟脱退記念日(2年前に通告した国連脱退がこの日、正式発効した)。国威宣揚祈願のため昭和青年会・昭和坤生会は明治神宮に参拝。 * 12月8日:[[第二次大本事件]]勃発。 【昭和11年(1936年)】 * 3月13日:昭和青年会を含む[[大本八団体]]に当局から解散命令が出される。 == 関連項目 == * [[昭和青年]](会誌) * [[昭和青年会会歌]] * [[愛善の旗幟の下に]](会歌) * [[昭和神聖会]] * [[昭和坤生会]] * 『[[皇道の栞]](4版)』453~478頁「第八章 昭和青年会」、{{ndldl|1111754/1/254}} * 『[[皇道大本事務便覧]]』(昭和青年会の会則等){{ndldl|1137512/1/74}} == 脚注 == <references/> {{デフォルトソート:しようわせいねんかい}} [[Category:大本の組織]] [[Category:昭和青年会|*]]
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