穹天閣

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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穹天閣。撮影時期不明(戦前)。

穹天閣(きゅうてんかく)は、綾部の神苑にあった建物。本宮山(鶴山)山頂にあった。昭和5年(1930年)4月に完成。

概要

略年表

  • 昭和4年(1929年)4月14日、穹天閣の地鎮祭。5月2日、斧始式。8月11日、立柱式。8月16日、上棟式。
  • 昭和5年(1930年)4月1日、みろく大祭黄金閣に安置していた開祖御神像を穹天閣に遷座。
  • 同年4月2日、穹天閣竣成式。
  • 昭和7年(1932年)1月27日、穹天閣の裏(北側)に三六亭が完成。
  • 昭和7年(1932年)3月4日、艮の金神と乙姫を穹天閣の二代教主居間に鎮祭。
  • 昭和8年(1933年)4月3日、霊界物語の原稿浄写綴全冊を黄金閣から穹天閣に移す。
  • 同年7月3日、穹天閣の前庭に山家から搬出した巨石で「天津磐境」を造る。
  • 同年11月7日、王仁三郎の神像・七福神像の扮装写真18枚を穹天閣に掲額。
  • 昭和11年(1936年)5月、第二次大本事件で破却される。

〔この年表は「大本年表」をもとに作成した(注記ある場合を除く)〕

その他

  • 昭和5年4月に開祖の神像が穹天閣の王仁三郎の部屋に祭られたが、これは同殿同床の本義に則ったものである。〔月鏡「同殿同床の儀」#、初出『神の国』昭和5年5月号〕
  • 穹天閣の宝物の中に、河童の手があった。熊本県の小国の信者が献上したもの。〔『昭和青年』昭和7年11月号「出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会#」〕

脚注

  1. 『大本七十年史 下巻』「本部の体制#