「高熊山」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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*穴太の産土神社である[[小幡神社]](祭神・[[開化天皇]]、宮司・[[上田正昭]])は、もともと高熊山の中にあった。現在は穴太の集落にある。<ref name="rm0101" />
 
*穴太の産土神社である[[小幡神社]](祭神・[[開化天皇]]、宮司・[[上田正昭]])は、もともと高熊山の中にあった。現在は穴太の集落にある。<ref name="rm0101" />
 
*[[武烈天皇]](第25代天皇)が跡継ぎを定めようとしたとき「[[穴太の皇子]]」は高熊山に隠れてしまい、行方不明となったので、[[継体天皇]](武烈から10等親離れている)に位を譲った。<ref name="rm0101" />
 
*[[武烈天皇]](第25代天皇)が跡継ぎを定めようとしたとき「[[穴太の皇子]]」は高熊山に隠れてしまい、行方不明となったので、[[継体天皇]](武烈から10等親離れている)に位を譲った。<ref name="rm0101" />
*高熊山には古来から謎の歌が遺っている。「朝日照る、夕日輝く、高倉の、三ツ葉躑躅(つつじ)のその下に、黄金(こがね)の鶏(にわとり)小判千両 埋(い)けおいた」。この「[[三ツ葉躑躅]]」とは三つの御霊=[[瑞霊]]の意味であり、霊界物語第1巻前半の霊界探検の物語の中では、喜三郎は「三ツ葉様」と呼ばれている。<ref name="rm0101" />
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*高熊山には古来から謎の歌が遺っている。<br>
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 「朝日照る、夕日輝く、高倉の、三ツ葉躑躅(つつじ)のその下に、黄金(こがね)の鶏(にわとり)小判千両 埋(い)けおいた」<br>
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この「[[三ツ葉躑躅]]」とは三つの御霊=[[瑞霊]]の意味であり、霊界物語第1巻前半の霊界探検の物語の中では、喜三郎は「三ツ葉様」と呼ばれている。<ref name="rm0101" />
 
*霊界物語第3巻に出てくる「[[霊鷲山]]」(りょうしゅうざん)は高熊山に相応する。{{rm|3|15}}~{{rm|3|18}}
 
*霊界物語第3巻に出てくる「[[霊鷲山]]」(りょうしゅうざん)は高熊山に相応する。{{rm|3|15}}~{{rm|3|18}}
  

2013年4月2日 (火) 11:42時点における版

高熊山(たかくまやま)は、出口王仁三郎が修業した山。京都府亀岡市曽我部町穴太にある。標高357m。地図には「丁塚山」(ちょうづかやま)と表記されている。

  • 上田喜三郎(王仁三郎の幼名)は明治31年(1898年)3月1日(旧暦2月9日)から一週間、高熊山の中腹にある岩窟で、霊的な修業を行った。
  • また5月にも二週間の修業を行っている。
  • 高熊山は上古は高御座山(たかみくらやま)と称し、後に高座(たかくら)、高倉と転訛し、そして高熊山になった。[1]
  • 穴太の産土神社である小幡神社(祭神・開化天皇、宮司・上田正昭)は、もともと高熊山の中にあった。現在は穴太の集落にある。[1]
  • 武烈天皇(第25代天皇)が跡継ぎを定めようとしたとき「穴太の皇子」は高熊山に隠れてしまい、行方不明となったので、継体天皇(武烈から10等親離れている)に位を譲った。[1]
  • 高熊山には古来から謎の歌が遺っている。

 「朝日照る、夕日輝く、高倉の、三ツ葉躑躅(つつじ)のその下に、黄金(こがね)の鶏(にわとり)小判千両 埋(い)けおいた」
この「三ツ葉躑躅」とは三つの御霊=瑞霊の意味であり、霊界物語第1巻前半の霊界探検の物語の中では、喜三郎は「三ツ葉様」と呼ばれている。[1]


脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 霊界物語第1巻第1章霊山修業#