「小幡神社」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
Jump to navigation Jump to search
(ページの作成:「'''小幡神社'''(おばたじんじゃ)は、出口王仁三郎が生まれた穴太の産土神社。開化天皇(第9代天皇)を主祭神とし、彦坐王...」)
 
1行目: 1行目:
'''小幡神社'''(おばたじんじゃ)は、出口王仁三郎が生まれた穴太の産土神社。開化天皇(第9代天皇)を主祭神とし、彦坐王(ひこいますのみこ)と小俣王(おまたのみこ)を配祀している。延喜式内社。宮司は上田正昭(京都大学名誉教授)。所在地:亀岡市曽我部町穴太宮垣内1。
+
'''小幡神社'''(おばたじんじゃ)は、出口王仁三郎が生まれた[[穴太]]の産土神社。開化天皇(第9代天皇)を主祭神とし、彦坐王(ひこいますのみこ)と小俣王(おまたのみこ)を配祀している。延喜式内社。宮司は[[上田正昭]](京都大学名誉教授)。所在地:亀岡市曽我部町穴太宮垣内1。
  
 
由緒書によると、崇神天皇(第10代天皇、開化天皇の第二皇子)の命で派遣された四道将軍の一人で丹波地域を治めた丹波道主命(たんばのみちのうしのみこと)が、祖父である開化天皇を主神として祀ったことに始まる。開化天皇の第三皇子・彦坐王(丹波道主命の父)と、その子・小俣王(丹波道主命の異母兄弟)の三代を奉斎している。和銅元年(708年)に丹波国司・大神朝臣狛麻呂が社殿を建立した。
 
由緒書によると、崇神天皇(第10代天皇、開化天皇の第二皇子)の命で派遣された四道将軍の一人で丹波地域を治めた丹波道主命(たんばのみちのうしのみこと)が、祖父である開化天皇を主神として祀ったことに始まる。開化天皇の第三皇子・彦坐王(丹波道主命の父)と、その子・小俣王(丹波道主命の異母兄弟)の三代を奉斎している。和銅元年(708年)に丹波国司・大神朝臣狛麻呂が社殿を建立した。
  
現在の社殿は天和3年(1683年)に造られたもので、京都府の登録文化財になっている。社宝として、全国に3幅しかないという円山応挙(王仁三郎の七代前の先祖)の絵馬の一つが保存されている。
+
現在の社殿は天和3年(1683年)に造られたもので、京都府の登録文化財になっている。社宝として、全国に3幅しかないという[[円山応挙]](王仁三郎の七代前の先祖)の絵馬の一つが保存されている。
  
現在は高熊山の麓の平地にあるが、霊界物語によると、上古には高熊山の山中にあった{{rm|1|1|}}。
+
現在は[[高熊山]]の麓の平地にあるが、[[霊界物語]]によると、上古には高熊山の山中にあった{{rm|1|1|}}。
  
上田喜三郎は明治30年(1897年)8月下旬から21日間、小幡神社に夜間ひそかに参籠して神教を乞い、その最後に日に現在の大本三大学則を授かった。それを授けた神霊は異霊彦命(ことたまひこのみこと、本田親徳の霊)である。<ref>出口王仁三郎・著『本教創世記』第三章</ref>
+
上田喜三郎は明治30年(1897年)8月下旬から21日間、小幡神社に夜間ひそかに参籠して神教を乞い、その最後に日に現在の[[大本三大学則]]を授かった。それを授けた神霊は[[異霊彦命]](ことたまひこのみこと、[[本田親徳]]の霊)である。<ref>出口王仁三郎・著『[[本教創世記]]』第三章</ref>
  
  

2014年3月17日 (月) 11:38時点における版

小幡神社(おばたじんじゃ)は、出口王仁三郎が生まれた穴太の産土神社。開化天皇(第9代天皇)を主祭神とし、彦坐王(ひこいますのみこ)と小俣王(おまたのみこ)を配祀している。延喜式内社。宮司は上田正昭(京都大学名誉教授)。所在地:亀岡市曽我部町穴太宮垣内1。

由緒書によると、崇神天皇(第10代天皇、開化天皇の第二皇子)の命で派遣された四道将軍の一人で丹波地域を治めた丹波道主命(たんばのみちのうしのみこと)が、祖父である開化天皇を主神として祀ったことに始まる。開化天皇の第三皇子・彦坐王(丹波道主命の父)と、その子・小俣王(丹波道主命の異母兄弟)の三代を奉斎している。和銅元年(708年)に丹波国司・大神朝臣狛麻呂が社殿を建立した。

現在の社殿は天和3年(1683年)に造られたもので、京都府の登録文化財になっている。社宝として、全国に3幅しかないという円山応挙(王仁三郎の七代前の先祖)の絵馬の一つが保存されている。

現在は高熊山の麓の平地にあるが、霊界物語によると、上古には高熊山の山中にあった第1巻第1章#

上田喜三郎は明治30年(1897年)8月下旬から21日間、小幡神社に夜間ひそかに参籠して神教を乞い、その最後に日に現在の大本三大学則を授かった。それを授けた神霊は異霊彦命(ことたまひこのみこと、本田親徳の霊)である。[1]


参考文献

  1. 出口王仁三郎・著『本教創世記』第三章


外部リンク