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* [[ウラナイ教]]の教祖・[[高姫]]は[[フサの国]]の[[北山村]]にウラナイ教の本山を建設したが、[[三五教]]に帰順してしまった([[第19巻]])。その後、総務の[[蠑螈別]]が教主となり、[[魔我彦]]が副教主となって、坂照山に新たに神殿を建設し、小北山と称した。<ref>{{rm|45|7|相生の松||a023|a031}}:「後に残りし魔我彦は 蠑螈別を教祖とし 北山村を後にして 坂照山に立こもり 茲に愈ウラナイの 教を再び開設し 小北の山の神殿と 称へて教を近国に 伝へ居るこそ雄々しけれ」、{{rm|49|13|胸の轟||a394|a403}}:「(魔我彦のセリフ)「実の所は貴女が三五教へお入信りになつてから、蠑螈別様が北山村を立退き、坂照山に貴女のお筆先を元として(略)小北山の神殿と称して、蠑螈別様が教主となり、私が副教主として活動してゐました」</ref> | * [[ウラナイ教]]の教祖・[[高姫]]は[[フサの国]]の[[北山村]]にウラナイ教の本山を建設したが、[[三五教]]に帰順してしまった([[第19巻]])。その後、総務の[[蠑螈別]]が教主となり、[[魔我彦]]が副教主となって、坂照山に新たに神殿を建設し、小北山と称した。<ref>{{rm|45|7|相生の松||a023|a031}}:「後に残りし魔我彦は 蠑螈別を教祖とし 北山村を後にして 坂照山に立こもり 茲に愈ウラナイの 教を再び開設し 小北の山の神殿と 称へて教を近国に 伝へ居るこそ雄々しけれ」、{{rm|49|13|胸の轟||a394|a403}}:「(魔我彦のセリフ)「実の所は貴女が三五教へお入信りになつてから、蠑螈別様が北山村を立退き、坂照山に貴女のお筆先を元として(略)小北山の神殿と称して、蠑螈別様が教主となり、私が副教主として活動してゐました」</ref> | ||
− | * | + | * 小北山とは山の名前ではなく、旧・本山が北山にあったので、それ対して新・本山を小北山と呼んでいるものと思われる。であるから[[坂照山]]を小北山に改称したのではなく「坂照山にある小北山神殿」と考えるのが正しいと思われる。ただし便宜的に坂照山自体を小北山と呼んでいると思われる箇所もある。 |
* 小北山は[[浮木ケ原]](うききがはら)の近くにある。<ref>{{rm|44|18|一本橋}}で、松彦一行は浮木ケ原に向かう途中で、小北山に寄っている。また{{rm|45|20|蛙行列}}では、松彦一行は「小北山を後に眺めて浮木の森を指して足を早めた」とあり、両者は近隣にあると思われる。</ref> (浮木ケ原はフサと月の国境で、アフガニスタンである<ref>{{rm|39|13}}:「印度と波斯との国境 天地の神の御稜威をば アフガニスタンの大原野 浮木ケ原の森蔭に」</ref>) | * 小北山は[[浮木ケ原]](うききがはら)の近くにある。<ref>{{rm|44|18|一本橋}}で、松彦一行は浮木ケ原に向かう途中で、小北山に寄っている。また{{rm|45|20|蛙行列}}では、松彦一行は「小北山を後に眺めて浮木の森を指して足を早めた」とあり、両者は近隣にあると思われる。</ref> (浮木ケ原はフサと月の国境で、アフガニスタンである<ref>{{rm|39|13}}:「印度と波斯との国境 天地の神の御稜威をば アフガニスタンの大原野 浮木ケ原の森蔭に」</ref>) | ||
* 小北山では三五教と同じように[[十曜の神紋]]を使い[[国治立命]]を祭っている。<ref>{{rm|44|18|一本橋}}:「『(略)不思議の事には小北山の神様にも十曜の紋がつけてありました』『さうして何といふ神様が祭つてあるのだ』『ハイ国治立命様とか承はりました』」</ref> | * 小北山では三五教と同じように[[十曜の神紋]]を使い[[国治立命]]を祭っている。<ref>{{rm|44|18|一本橋}}:「『(略)不思議の事には小北山の神様にも十曜の紋がつけてありました』『さうして何といふ神様が祭つてあるのだ』『ハイ国治立命様とか承はりました』」</ref> |
2018年5月9日 (水) 20:25時点における版
小北山(こぎたやま)は、
(1) 霊界物語に登場する地名。坂照山にある、ウラナイ教の本山(神殿)のこと。
(2) 霊界物語第44巻第21章の章題。
本ページでは(1)について解説する。
- 初出:第44巻総説#、第44巻第18章「一本橋」#
- ウラナイ教の教祖・高姫はフサの国の北山村にウラナイ教の本山を建設したが、三五教に帰順してしまった(第19巻)。その後、総務の蠑螈別が教主となり、魔我彦が副教主となって、坂照山に新たに神殿を建設し、小北山と称した。[1]
- 小北山とは山の名前ではなく、旧・本山が北山にあったので、それ対して新・本山を小北山と呼んでいるものと思われる。であるから坂照山を小北山に改称したのではなく「坂照山にある小北山神殿」と考えるのが正しいと思われる。ただし便宜的に坂照山自体を小北山と呼んでいると思われる箇所もある。
- 小北山は浮木ケ原(うききがはら)の近くにある。[2] (浮木ケ原はフサと月の国境で、アフガニスタンである[3])
- 小北山では三五教と同じように十曜の神紋を使い国治立命を祭っている。[4]
- 小北山の神殿は、階段を200段ばかり登った上にある。[5]
- 小北山の山頂には石の宮が三社祭ってある。[6]
- 第44巻第21章(最後の章)から第46巻にかけて小北山が舞台となる。三五教の宣伝使・松姫は、錦の宮の教主・言依別命の特命により、小北山に潜入し、ウラナイ教の実権を握った[7]。松彦(松姫の生き別れになった夫)が小北山にやって来たのを機に、夫婦力を合わせて小北山の改革に乗り出す。蠑螈別・魔我彦は小北山から消え去り、松姫が教主となって宗教改革を行う。→詳細は「第45巻」「第46巻」を見よ
脚注
- ↑ 第45巻第7章「相生の松」/a023-a031#:「後に残りし魔我彦は 蠑螈別を教祖とし 北山村を後にして 坂照山に立こもり 茲に愈ウラナイの 教を再び開設し 小北の山の神殿と 称へて教を近国に 伝へ居るこそ雄々しけれ」、第49巻第13章「胸の轟」/a394-a403#:「(魔我彦のセリフ)「実の所は貴女が三五教へお入信りになつてから、蠑螈別様が北山村を立退き、坂照山に貴女のお筆先を元として(略)小北山の神殿と称して、蠑螈別様が教主となり、私が副教主として活動してゐました」
- ↑ 第44巻第18章「一本橋」#で、松彦一行は浮木ケ原に向かう途中で、小北山に寄っている。また第45巻第20章「蛙行列」#では、松彦一行は「小北山を後に眺めて浮木の森を指して足を早めた」とあり、両者は近隣にあると思われる。
- ↑ 第39巻第13章#:「印度と波斯との国境 天地の神の御稜威をば アフガニスタンの大原野 浮木ケ原の森蔭に」
- ↑ 第44巻第18章「一本橋」#:「『(略)不思議の事には小北山の神様にも十曜の紋がつけてありました』『さうして何といふ神様が祭つてあるのだ』『ハイ国治立命様とか承はりました』」
- ↑ 第44巻第21章「小北山」#:松彦一行は大岩の傍で休憩をした後「一町(約109m)ばかり峻坂を登り、細い階段を二百ばかり刻みながらやうやく小北山神館の門口に着きける」
- ↑ 第45巻第1章#:お寅のセリフ「小北山の山頂に石の宮様が三社祭つて厶いませう。そして右のお宮様にはユラリ彦命様、又の御名は末代日の王天の大神様と申します」、第44巻第21章#:爺(文助)のセリフ「石の宮が三社あつて、正中が月の大神様、日の大神様御夫婦が祀つてある。右の石の宮は末代日の王天の大神様上義姫大神様御夫婦がお祀りになつてゐる。左の方が日照らす大神様、大照皇大神宮様御夫婦が御祀りだ」
- ↑ 第45巻第5章「肱鉄」/a079-a080#:「松姫は千代と云ふ十二三の小娘を小間使として此処に引籠りウラナイ教の実権を握つて居る。表面からは蠑螈別が教祖なれど実力は此松姫にあつた。(略)松姫はもとウラナイ教の取次で高城山に教主をやつて居た剛の女である。(略)言依別命が特に松姫に命じウラナイ教に差遣はし、教理を根本的に改正せしめむとなし給うたのである。」
関連項目
- 北山村 - フサの国にある。ウラナイ教の旧・本山所在地。