「玉留島」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''玉留島'''(たまつめじま)は、霊界物語に登場する島。[[紀の国]]の[[若の浦]]にある。{{rm|33|26|若の浦}}のみに出てくる。
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'''玉留島'''(たまつめじま)は、[[霊界物語]]に登場する島。[[紀の国]]の[[若の浦]]にある。「'''玉津島'''(たまつしま)」の古称。
  
[[国玉別]]・[[玉野姫]]夫婦がこの島に社を建てて「[[球の玉]]」を[[稚姫君の大神]]として祭った。もとは[[豊見の浦]]と言ったが、これ以降は[[若の浦]]と改称した(稚姫君の「わか」に由来)。
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== 概要 ==
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* {{rm|33|26|若の浦}}のみに出る。
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* 「玉留」の意義は、玉を固く地中に埋め、その上に神社を建てて永久に守るという意味である。<ref name="rm3326">{{rm|33|26|若の浦}}</ref>
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* 玉留島はもともと島であったが、今は陸続きとなり、「玉津島」と改称されている。<ref name="rm3326" />
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* この島の辺りは、非常に巨大な杉の木や楠が大地一面に繁茂していた。太い楠は幹の周囲が100丈余り(300m以上)もあった。杉も幹の周囲が30丈、50丈のものが数限りもなく生えていた。自転倒島で最も巨大な樹木が繁茂していた国なので、神代から「[[木の国]]」と称えられていた。<ref name="rm3326" />
  
この玉留島は今は陸続きとなり、[[玉津島]]と改称されている。
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== 主なエピソード ==
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[[国玉別]]は神命により、妻の[[玉能姫]]、[[駒彦]]と共に<ref>{{rm|33|25|琉の玉}}:([[国玉別]]のセリフ)「私は神命に依り、玉能姫、駒彦と共に球の玉を持つて、紀の国路へ参り、之を祀らねばなりませぬから」</ref>「[[球の玉]]」を持って[[紀の国]]の「[[豊見の浦]]」に行き、樟の樹が鬱蒼と茂る島に、[[稚姫君命]]の御霊を球の玉に取りかけ祀った。それより豊見の浦は「[[若の浦]]」と改称することとなり、この島は玉留島と名付けられた。
  
リアルワールドでは和歌山市和歌浦の[[玉津島神社]]に相応する。
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[[国玉別]]・[[玉能姫]]夫婦はこの島に社を造り、球の玉を奉安し、これを稚姫君の大神と斎祀り、三五教を[[木の国]]ばかりでなく、伊勢、志摩、尾張、大和、和泉方面までも拡充した。〔{{rm|33|26|若の浦}}〕
  
また王仁三郎は、稚姫岐美命(稚姫君命)は紀州の和歌の浦で帰幽し、それを祭ったのが玉津島明神(玉津島神社)だと述べている。{{kgm|582|素尊と稚姫岐美命}}
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== 現実の玉留島 ==
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和歌山市和歌浦の[[玉津島神社]]である。祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)。
  
[[Category:霊界物語の島|たまつめしま]]
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== 素尊と稚姫岐美命 ==
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{{kgm|582|素尊と稚姫岐美命}}に[[玉津島神社]]の創建の悲しいエピソードが記されている。これは霊界物語第33巻第26章「若の浦」に記されているエピソード(前述)とは異なる。また神社公式の由緒とも異なる<ref>神社公式の由緒は、神功皇后の三韓征伐にまつわるものである。[http://tamatsushimajinja.jp/tamatsushima/index.html 玉津島神社とは](公式サイト)</ref>。
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──神代の昔、[[素盞嗚尊]]と稚姫岐美命([[稚姫君命]])の間に男女関係があり、大日孁尊([[天照大神]]のことだと思われる)は天津罪を犯したとして、高麗の国(朝鮮)の[[壇山]]に稚姫岐美命を追いやった。
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稚姫岐美命は素盞嗚尊への思いに堪えかね、烏の羽の裏に恋文を認めて烏を放ったが、烏は素盞嗚尊がいる[[高天原]]([[天教山]]のことだと思われる)へ行く途中、伊勢の国で力尽きて死んでしまった。お烏神社(三重県津市の[[香良洲神社]]。祭神は稚日女命)がその地である。
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稚姫岐美命は紀州の和歌の浦で帰幽し、それを祭ったのが玉津島明神([[玉津島神社]])である。
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== 関連項目 ==
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* [[玉津島神社]]
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* [[生田の森]]:高姫が「琉の玉」を祀った。
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== 脚注 ==
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<references/>
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== 外部リンク ==
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* [http://tamatsushimajinja.jp/ 玉津島神社](公式サイト)
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* <wp>玉津島神社</wp>
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* <wp>香良洲神社</wp>
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{{デフォルトソート:たまつめしま}}
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[[Category:霊界物語の島]]

2024年6月10日 (月) 02:12時点における最新版

玉留島(たまつめじま)は、霊界物語に登場する島。紀の国若の浦にある。「玉津島(たまつしま)」の古称。

概要

  • 第33巻第26章若の浦#のみに出る。
  • 「玉留」の意義は、玉を固く地中に埋め、その上に神社を建てて永久に守るという意味である。[1]
  • 玉留島はもともと島であったが、今は陸続きとなり、「玉津島」と改称されている。[1]
  • この島の辺りは、非常に巨大な杉の木や楠が大地一面に繁茂していた。太い楠は幹の周囲が100丈余り(300m以上)もあった。杉も幹の周囲が30丈、50丈のものが数限りもなく生えていた。自転倒島で最も巨大な樹木が繁茂していた国なので、神代から「木の国」と称えられていた。[1]

主なエピソード

国玉別は神命により、妻の玉能姫駒彦と共に[2]球の玉」を持って紀の国の「豊見の浦」に行き、樟の樹が鬱蒼と茂る島に、稚姫君命の御霊を球の玉に取りかけ祀った。それより豊見の浦は「若の浦」と改称することとなり、この島は玉留島と名付けられた。

国玉別玉能姫夫婦はこの島に社を造り、球の玉を奉安し、これを稚姫君の大神と斎祀り、三五教を木の国ばかりでなく、伊勢、志摩、尾張、大和、和泉方面までも拡充した。〔第33巻第26章若の浦#

現実の玉留島

和歌山市和歌浦の玉津島神社である。祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)。

素尊と稚姫岐美命

玉鏡「素尊と稚姫岐美命」#玉津島神社の創建の悲しいエピソードが記されている。これは霊界物語第33巻第26章「若の浦」に記されているエピソード(前述)とは異なる。また神社公式の由緒とも異なる[3]

──神代の昔、素盞嗚尊と稚姫岐美命(稚姫君命)の間に男女関係があり、大日孁尊(天照大神のことだと思われる)は天津罪を犯したとして、高麗の国(朝鮮)の壇山に稚姫岐美命を追いやった。

稚姫岐美命は素盞嗚尊への思いに堪えかね、烏の羽の裏に恋文を認めて烏を放ったが、烏は素盞嗚尊がいる高天原天教山のことだと思われる)へ行く途中、伊勢の国で力尽きて死んでしまった。お烏神社(三重県津市の香良洲神社。祭神は稚日女命)がその地である。

返事を待ち侘びる稚姫岐美命は烏がいつまで経っても復命しないので、意を決して自転倒島に渡った。ところが素盞嗚尊も稚姫岐美命に会うため朝鮮に渡ったため、行き違いになってしまった。

稚姫岐美命は紀州の和歌の浦で帰幽し、それを祭ったのが玉津島明神(玉津島神社)である。

関連項目

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 第33巻第26章若の浦#
  2. 第33巻第25章琉の玉#:(国玉別のセリフ)「私は神命に依り、玉能姫、駒彦と共に球の玉を持つて、紀の国路へ参り、之を祀らねばなりませぬから」
  3. 神社公式の由緒は、神功皇后の三韓征伐にまつわるものである。玉津島神社とは(公式サイト)

外部リンク