千秋苑
Jump to navigation
Jump to search
千秋苑(せんしゅうえん)は、天恩郷の月照山より南側のエリアの名称。
昭和2年(1927年)1月29日、万寿苑(月照山より北側)と千秋苑の境の道路が完成し、天恩郷が万寿苑と千秋苑の二大別される。[1]
「天恩郷を南北に別けて、月照山の以北を万寿苑と名づけ、以南を千秋苑と命名した」〔水鏡「天恩郷の命名」#、初出『神の国』昭和2年2月号〕
ただしそれ以前から千秋苑と呼ばれていたようである。『新月の光』に、大正14年(1925年)秋の王仁三郎の発言として「天恩郷の万寿苑は、春を意味したもので天国である。春と夏は太陽をたたえる。千秋苑は月を意味したもので霊国に相応し、修業場である。月の教えを受けて天国に入るのである」と掲載されている[2]。