高地秀の宮
(国の御柱の大宮から転送)
高地秀の宮(たかちほのみや)は、霊界物語に登場する宮。紫微天界にある。
概要
主なエピソード
- 紫微宮で高鉾の神、神鉾の神から「高地秀の峯に下り、紫天界の経綸に仕えまつれ」と命じられた太元顕津男の神は、高地秀山に下り造化三神を祭った(高地秀の宮)。百日間祈ると、主の神が現れ、国生み神生みの神業を命じられる。そして御樋代神として八十比女神を授けられた。〔第73巻第8章「国生み神生みの段」#〕
- 太元顕津男の神は高野比女の神を正妃[2]とし、八柱の比女神(宇都子比女の神、朝香比女の神、梅咲比女の神、花子比女の神、香具の比女の神、小夜子比女の神、寿々子比女の神、狭別の比女の神)を近くに侍らせた。この他72柱の比女神を紫微宮界の東西南北に配置した。〔第73巻第9章「香具の木の実」#〕
- 太元顕津男の神の神業は、西の宮(天極紫微宮)の神々はもとより、配下の神々にも理解されず苦しむ(「#西の宮と東の宮」を参照)。一人で神生み国生みの旅に出発する。〔第73巻第11章「紫微の宮司」#、第15章「国生みの旅」#〕
- 太元顕津男の神が去った後、八柱の比女神は天津高宮に詣で、宮の司たるべき神を降し給えと祈ると、主の大神は高地秀の宮の宮司として、鋭敏鳴出の神、天津女雄の神の二柱を降した。[3]
- 朝香比女の神(八柱の御樋代神の一人)は太元顕津男の神への思慕を募らせ、後を追い駆けるため高地秀の宮を旅立った。後に残った神々は、朝香比女の神の旅の無事を祈った。〔第76巻第7章「外苑の逍遥」#~第8章「善言美霊」#〕
西の宮と東の宮
天極紫微宮(神司:天の道立の神)は「西の宮」、高地秀の宮(神司:太元顕津男の神)は「東の宮」とも呼ばれるが、厳密に言えば紫天界の西と東に位置しているのではなく、天極紫微宮の東北に高地秀の宮がある。[4]
第73巻第11章「紫微の宮司」#で西の宮と東の宮が次のように比較対照されている。
- 【西の宮】 天之道立の神は、遍く神人の教化に専念し、天津誠の御教えをうまらにつばらに説き給う。
- 【東の宮】 太元顕津男の神は、右手に剣を持ち、左手に鏡をかざし、霊界における霊魂・物質(霊・体)両面の守護に任じた。そのため両者の神業は大なる相違がある。
- 【西の宮】 個神々々についての真を教える。
- 【東の宮】 宇宙万有に対しての教化。
- 【西の宮】 凡神の耳に入りやすく、誠を誠として認め得る。
- 【東の宮】 範囲広大で小事に関わらず、万有修理固成の守護であるから、凡神の耳に入り難い。そのためついには配下の神々の中からも反抗する者が現れてきた。そこで太元顕津男の神は、表には西の宮の教えを唱導し、聡明な神人には天下経綸の大業を説き明かすようにした。
西の宮の神々はもとより、配下の神々にも理解されず、太元顕津男の神は苦しむが、第73巻第15章「国生みの旅」#で国生み神生みの旅に出る。
(第73巻第15章「国生みの旅」#の太元顕津男の神が唱える祝詞の中で、西の宮は「天の御柱の宮」、東の宮は「国の御柱の大宮」と呼ばれているが、「宮」と「大宮」と意図的に区別しているようである)
(西の宮と東の宮のエピソードは、大本草創期の出口直と王仁三郎の関係を想起させる)
脚注
- ↑ 第73巻第11章「紫微の宮司」#:「太元顕津男の神は東の国なる高地秀の宮に神司として日夜奉仕し給ひ」
- ↑ 第73巻第10章「婚ぎの御歌」#:「太元顕津男の神は主の大神の大神言を畏み、非時の香具の木の実に生りませる高野比女の神を正妃と定めて」
- ↑ 第76巻第1章「高宮参拝」#
- ↑ 第73巻第8章「国生み神生みの段」#:(高鉾の神、神鉾の神のセリフ)「是より東北万里の国土に於て天界経綸の聖場あり、称して高地秀の峯といふ。この高地秀の峯こそ我主の神の出でませし清所なれば、汝は一時も早く高地秀の峯に下りて紫天界の経綸に仕へまつれ」、「太元顕津男の神は、天の高地秀の山に下り給ひつつ、茲に造化の三神を斎ひ祭り」