香良洲神社
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概要
- 鎮座地:三重県津市香良洲町3675-1
- 明治22年(1889年)一志郡矢野村
- 昭和4年(1929年)一志郡香良洲町(香良洲神社にちなんで改名)
- 平成18年(2006年)津市香良洲町
- 主祭神:稚日女命(わかひるめのみこと)……天照大神の妹神
- 創建:第29代欽明天皇の御代に、神戸の生田神社から勧請された。
【参考文献】
- 『一志郡史 下巻』昭和30年(1955年)、242頁、NDLDL蔵書
大本との関係
出口直開祖の御霊は稚姫君命とされ、香良洲神社の祭神・稚日女命は稚姫君命と同一とされるので、つまり出口直は稚日女命を祭る神社と霊的因縁が深いということになる。
明治45年(1912年)4月24日(旧3月8日)[1]、出口直・王仁三郎一行200余名、伊勢へ出発。4月25日に内宮と外宮を参拝。4月26日(旧3月10日)に香良洲神社を参拝。[2] [3] [4]
この時、出口直に次のような神示が下った。[5]
出口なお七十七才、明治四十五年の旧三月の八日立ちで、お伊勢の大神宮どのへ参拝をいたしたのは、むかしからないことでありたぞよ。
おからすの宮に、同じみたまの変性男子の宿りておる出口なお ひっそうて、国常立尊が連れまいりた、おん供は結構でありたぞよ。世のかわり目のおりぞよ。出典: 『大本神諭 (五巻本) 第五集』明治四十五年旧三月八日、62頁
その後も度々、王仁三郎は香良洲神社に参拝している。
三鏡の中で王仁三郎は、香良洲神社について次のような教示をしている。──高麗の国から稚姫君命が、天教山の素尊に宛て、烏の羽の裏に恋文を認めて放った。烏は途中で力尽きて伊勢の地で死んでしまった。今、香良洲神社がある場所がその地である。香良洲神社の御神体はこの烏の羽だという説がある。〔玉鏡「素尊と稚姫岐美命」#(初出は『神の国』昭和6年(1931年)7月号)〕
【参考文献】
関連項目
外部リンク
脚注
- ↑ この年の7月30日に明治天皇が崩御し、同日から元号が大正に変わる。
- ↑ 「大本年表」
- ↑ 『大本七十年史 上巻』「明治の晩期#」320頁
- ↑ 『新月の光』0009「伊勢神宮外宮、内宮、香良洲神社へ開祖と聖師参拝」
- ↑ この神示は王仁三郎が編纂した大本神諭(神霊界掲載のもの)には収録されていない「筆先」である。五巻本(第五集58~63頁)に収録されている旧3月8日の筆先の最後に記されている。ただし内容的には綾部を出発した日(旧3月8日=新4月24日)ではなく、香良洲神社参拝(旧3月10日=新4月26日)後のものである(「~いたしたのは」「~まいりた」など過去形なので)。『大本七十年史 上巻』「明治の晩期#」320頁ではこの神示は旧3月15日の筆先だと記されている。