霊力体
霊力体(れいりょくたい)とは、
(1) 霊、力、体の三大元(さんだいげん)のこと。
(2) 霊界物語第3巻第12篇の篇題。この篇に含まれる章は第50章「安息日」の1章だけである。
本項では(1)について解説する。
概要
- 神(主神)は霊力体の三大元をもって万物を創造した。また、霊力体を完全に備えた存在が神(主神)である。[1] [2] [3]
- 宇宙は霊力体の三大元から出来ており、宇宙にあるものは霊力体の三大元が全てである。[4] [5]
- 霊力体の三つを「三大元(さんだいげん)」と呼ぶ以外に、単なる「三大」や「三大元質」「三大要素」「三大原則」「三大原理」「三徳」「三元」「大元霊」とも呼ばれる。[6]
- 霊力体は一霊四魂(いちれいしこん)三元(さんげん)八力(はちりき)から成る。霊=一霊四魂、力=八力、体=三元であるが、三つを続けて呼ぶ時は基本的に「一霊四魂三元八力」という順序である[7]。ただし感謝祈願詞の冒頭で天の数歌として「一霊四魂(ひと)、八力(ふた)、三元(み)」という文言が出る。[8]
- 霊力体の三大元の教えは、王仁三郎が高熊山修行中に、素盞嗚尊の命令により小松林命から伝えられたものである。[9] →「三大学則」
構造
一霊四魂、三元、八力はそれぞれ上帝(主神)の「全霊」「全体」「全力」である。[10]
一霊四魂は直霊(直日)・荒魂・和魂・奇魂・幸魂、三元は剛体・柔体・流体、八力は動力・静力・解力・凝力・引力・弛力・合力・分力から成る。→詳細は「一霊四魂」「三元」「八力」を見よ
霊力体の発生・役割
宇宙間には、神霊原子といふものがある。又単に霊素と言つてもよい、一名火素とも言ふ。火素は万物一切の中に包含されてあり、空中にも沢山に充実して居る。又体素といふものがあつて単に水素とも云ふ。火素水素相抱擁帰一して、精気なるもの宇宙に発生する、火素水素の最も完全に活用を始めて発生したものである。この精気より電子が生れ、電子は発達して宇宙間に電気を発生し、一切の万物活動の原動力となるのである。
そして此の霊素を神界にては、高御産巣日神と云ひ、体素を神御産巣日神と云ふ。この霊体二素の神霊より、遂に今日の学者の所謂電気が発生し、宇宙に動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力完成し、遂に大宇宙小宇宙が形成された。(略)此の神[11]は霊力体の総本体である。
霊と体とは、天之御中主神が、その絶対一元の静的状態から動的状態に移らるる時に、必然的に発揮せらるる二元の呼称である。霊体という代りに、陰陽、水火、其の他の文句も使用されるが、全然同一義を以て使用されるのであると承知して宜しい。又力とは霊体二元の結合の瞬間に発生するもので、霊のみで力なく、又体のみでも力はない。霊体二元が揃うから、力が出来る。無論、霊体二元の配合如何によりて、発生する力が非常に違う。人間が人為的に生物だの無生物だのと区別して居ても、実は霊体の配合が違い、従って其の発揮する力に雲泥の相違が生じて居ると云うに過ぎない。兎に角、宇宙間は霊力体が充ち充ちて、斯くの如く活気凛々として居る。その総本体が天之御中主神である。(略)
(略)霊と体と力とが渾然として融合して、一個独特の機能を発揮して居る。活眼を開いて素直な心で対すれば、悟りの種は随時随所に充満して居る。それが即ち神の黙示であるのだ。
神の黙示
一、天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし。
一、万有の運化の濠差なきを見て、真神の力を思考すべし。
一、活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すべし。
天地の真象、万有の運化、活物の心性、これは誠に不変不易の活経典と称すべきである。吾々は実に此活経典に対して、真神の真神たる所以を悟る事に努力せねばなるまい。私のとなへる愛善の道は、既成宗教の重きを置いた霊と、近代科学の重きを説く体との間に奇蹟的な力があって、神秘的な結合作用を為すもので、この「力」こそ実に神から流れ来るもので、これを神力といひ法力ととなふるのであって、この霊、力、体の三元説の大原則を樹立し、この原則に出発した霊体の和合が行はれねば力ある真理は成り立たないと信ずるものである。この霊、力、体の大原則は私が神明のお導きに依って霊山高熊山に修業を命ぜられた時に、素盞嗚尊様の命に依って、小松林命様から神示を得、そこに断案を発見したのであるから、今日までの如何なる学者も唱へたことのない天啓の大原則であって、これに依ってはじめて一切の既成宗教の説と現代科学の説とが両立し、しかもこの二者共に真生命を与へらるることを覚ったのである。
これを更に解り易く言へば、男と女とは自づから霊と体とを具有してをるが、今一つ神秘なる力が加はる時に子供が出来るのだ。アインスタインの相対性原理説では足らないものが一つある。その一つは実に宗教と科学とを結合し完成するところの天啓の教理であるのである。この霊、力、体の三元説を見出さなければ、地上に思想的争闘の絶ゆることなく、思想的争闘が絶えねば、従って体的、即ち物質的争闘の絶ゆるはずはない。その他
脚注
- ↑ 第6巻第20章「善悪不測」#:「神は万物を造り給ふに際し、霊力体の三大元を以て之を創造し給ふ」
- ↑ 第13巻総説#:「霊、力、体合一したるを上帝と曰ふ。真神と謂ふも上帝と曰ふも皆天之御中主大神の別称なり」
- ↑ 第5巻第34章「水魚の情交」#:「大宇宙に唯一柱まします無限絶対無始無終の霊力体の三徳を完全に具有し給ふ天主、大国治立尊と云ふ絶対無限力の神様が、この広大無辺の大宇宙を創造されたのである」
- ↑ 『道之大本』「第2章#」:「宇宙にあるものは霊、力、体の三大元質よりほかには無いのである。霊とはすなはち神の事なり、人の霊魂もまた神の中である。力とはすなはち運動の力である。(略)体とは即ち物体にして化学のいはゆる元素と云ふものである。(略)神の御文には剛柔流の三大元素として説明するのである。この剛柔流の三体は天帝の体である。」
- ↑ 月鏡「謝恩の生活」#:「大本では宇宙に於ける霊力体一切の万有は、神の本体であると説く」
- ↑ 霊界物語での使用回数は、三大2回、三大元3回、三大元質1回、三大要素1回、三徳1回、三元5回、大元霊2回
- ↑ 第6巻第26章#:「天帝大六合治立命は一霊四魂三元八力を以て万物を造り」、第43巻第4章#:「一霊四魂三元八力の大元霊にまします大国治立大神様」
- ↑ 第60巻第16章「祈言」#
- ↑ 『出口王仁三郎全集 第五巻』「三位一体#」:「の断案は私が高熊山に修行中、素盞嗚尊のご命令によって、小松林という神使が私にお伝えになったのであります」
- ↑ 第13巻総説#
- ↑ 「此の神」とは「天之御中主神」のこと。
- ↑ 水鏡「甲子章について」#