生国魂神社
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概要
- 鎮座地:大阪市天王寺区生玉町13-9
- 主祭神:生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)
- 旧社格:官幣大社
- 正しい表記は「生國魂神社」。王仁三郎文献では「生魂神社」「生玉神社」と記されている場合もある。
出口王仁三郎との関わり
明治35年大阪宣教
出口王仁三郎は明治31年(1898年)春に大阪へ初めて宣教に出かけるが成果が出ずに帰郷した。明治35年(1902年)夏、二度目の大阪宣教に出た。その時、生国魂神社に朝夕参拝していたことを歌に詠んでおり、歌集『百千鳥』に収録されている[1]。
- 水煙の都の夏の夕暮をわれ生魂に神言宣りぬ
- 浪速なる産土神の生魂社に祈れば心清しくなりぬ
- 生魂の宮の朝をたたずめば杜のしげみに烏なくなり
- 家鶏の声町家の軒より聞えくる生魂神社の朝の清しさ
など。
昭和8年天祥地瑞口述
生国魂神社の500メートルほど北東にあった大阪分院[2]の蒼雲閣で、昭和8年(1933年)12月に天祥地瑞の第77巻及び第78巻を口述している。(生国魂神社に参拝していたかどうかは不明)
昭和9年昭和神聖会
昭和9年(1934年)8月19日、大阪の中之島公会堂で昭和神聖会大阪地方本部発会式が行われ、王仁三郎は統管として臨席した。祝宴後に王仁三郎は随員十数名を伴い、生国魂神社に参拝した。[3] [4]
外部リンク
- 難波大社 生國魂神社(公式サイト)
- 生國魂神社 - ウィキペディア
- 【大阪最古】日本の中心は浪速にあり!日本国土そのものの神を祀る生國魂神社 - 大阪の情報サイト We♥大阪
- 昔の生国魂神社の写真(いずれも国立国会図書館デジタルコレクション蔵書)
- 近畿名勝写真帖 続 - 明治34年(1901年)
- 日本写真帖 - 明治45年(1912年)
- 市内各神社写真帖 : 大大阪記念 - 大正15年(1926年)
- 全国官国幣社写真帖 - 昭和12年(1937年)