狭野の島
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概要
主なエピソード
第77巻第3~4章で舞台となる。
朝香比女の神一行7柱(朝香比女の神、初頭比古の神、起立比古の神、立世比女の神、天中比古の神、天晴比女の神、狭野彦)が乗る磐楠舟は魔の島に近づいた。魔の島には駒よりも大きな蟻が島一面に群がっている。しかし魔の島の正体は、巨大な八十曲津見が地中に潜み、頭だけを水上に浮かせており、数多の蟻は曲津見の頭にわいた虱であった。島は次第に高く浮き上がり、曲津見の巨体は水上に浮かび、目鼻口が不規則に付いた顔は雲を圧して高く、足の膝頭より中は海中にあり、形容できないほど大きかった。朝香比女の神が言霊を宣ると、八十曲津見の巨体はそのまま海中に固まり、巨大な巌島となった。この島は周囲100里の相当広い島である。天中比古の神は国津神の狭野彦を譲り受け、諸々の草木五穀を生言霊に生み出で、ついに「狭野の食国(さぬのおすくに)」を生み出で、永久に鎮まった。〔第77巻第3章「狭野の食国」#〕
朝香比女の神は魔の島を「狭野の島」と改め、天中比古の神と狭野彦を島に残し、他4柱の神々と共に万里の海を南へと進んで行った。〔第77巻第4章「狭野の島生み」#〕
その他
日本書紀で「狭野尊(さののみこと)」は神武天皇の幼名である。
巻二の最後、一書(第一)に「先づ彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生みたまふ。次に稲飯命(いなひのみこと)。次に三毛入野命(みけいりののみこと)。次に狭野尊(さののみこと)。亦は神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)と号(まう)す。狭野と所称(まう)すは、是、年少(みとしわか)くまします時の号(みな)なり」[2]とある。