建勲神社
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概要
- 明治39年(1906年)9月、上田喜三郎は皇典講究所京都分所に入学する。半年学び翌40年3月に卒業。4月、神職試験に合格し、5月、建勲神社主典となる。12月には職を辞し、伏見稲荷山御嶽教西部教庁の主事となる。
- 霊界物語には第38巻第22章「難症」#と第25章「雑草」#に出る。
- 喜三郎が奉職したことについて『大本七十年史』は次のように評している。「「世の立替え立直し」を念願としていた王仁三郎が、日露戦争後の国内外の騒然たる情勢を黙視しうるはずはない。京都の建勲神社に奉仕したのも、また御獄教にはいって活動したのも、彼のいう「斯道家」と協力して、道義的に国家のためにつくそうとした側面の具体化であった。しかし、当時の神職のほとんどは、「一身一家の名利栄達をはかるより外に一片の報国心を有するなく」(「直霊軍」)堕落頽廃して無気力であった。」〔『大本七十年史 上巻』「王仁三郎の帰綾#」〕
神社概要
- 住所:京都市北区紫野北舟岡町49
- 明治期の住所は愛宕郡大宮村。大正7年(1918年)に京都市上京区に編入。昭和30年(1955年)に上京区から分区して北区が誕生。
- 創建:明治3年(1870年)
- 祭神:織田信長
- 旧社格は別格官幣大社。
- 「けんくん」は通称で、正式には「たけいさお」と呼ぶ。
関連資料
外部リンク
- 建勲神社(公式サイト)
- 建勲神社 - ウィキペディア
- 『全国官国幣社写真帖』建勲神社