スの拇印

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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スの拇印(すのぼいん)とは、出口王仁三郎の拇印のこと。指の中心に小さな穴が開いており、水茎文字でスを表す記号「⦿」に似ているため、「ス」の拇印と呼ばれる。王仁三郎はスの拇印を自分が揮毫した書画や短冊などに落款または花押のように押したり、紙や布などに拇印を押したものをお守りとして信者に与えたりしていた。

  • 宣伝使に下付した竹の杓子(御手代)にはスの拇印が押されてある。
  • 天祥地瑞各巻の本の見返しにはスの拇印が押されてある。戦後発行された天祥地瑞にもスの拇印が印刷されてある。
  • スの拇印を押し始めたのは大正末年からのようである。[1]
  • 〈一九四三(昭和一八)年一一月、満州の部隊に入隊する信者の子弟らは、三六もの拇印をおした腹帯をあたえられ、「日本は敗ける。ソ連が出て一週間もしたら大連まで赤旗か立つ。そしたらすぐ道院へ行きなはれ」と教えられていた〉。〔『大本七十年史 下巻』「戦争の終結#」〕
  • 王仁三郎は〈拇印一つ押すと涙が二つ出る〉と言っている。〔『新月の光』0993「拇印一つに涙二滴」〕
  • 〈聖師は出征兵士には白い名刺のような固い紙に、表に三つ拇印を押しながら「みづのみたま」、裏にかえして二つ拇印を押して「いづのみたま」と唱えながら、「お守りにせよ」と下附された〉。〔『新月の光』1100「聖師の拇印」〕
  • たまほこのひ可里』によると、孝明天皇の御宸筆(経綸書)には「拇印に⦿の紋を有す男の活躍によって八紘一宇の鴻業が成就する」という意味のことが書かれてあった。

脚注

  1. 出口王仁三郎著作集 第3巻』巻末付録の落款一覧に〈拇印=大正末年から晩年まで、真中に独特のポチがあった〉と書かれてある。