山田春三

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山田春三(やまだ しゅんぞう、1846-1921年)は、官僚・政治家。宮中顧問官。大正8年(1919年)大本入信[1]

大正8年(1919年)10月9日、神奈川県の鎌倉を巡教していた王仁三郎は、東京・千駄ヶ谷の山田春三邸(当時は久邇宮家の宮務監督をしていた)を訪問している[2]

その半年前、5月11日にも王仁三郎は山田邸を訪問している[3]

山田は久邇宮良子女王(昭和天皇の皇后=香淳皇后)が結婚するまで養育係を務めていた。『新月の光』によると昭和18年に王仁三郎は「皇后陛下は小さい時から大本の本を読んでおいでになる」と語っている[3]

外部リンク

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脚注

  1. 大本七十年史 上巻』「社会の反応#
  2. 大本七十年史 上巻』「内地宣教の展開#」p461
  3. 3.0 3.1 木庭次守・編『新月の光』0527「山田春三」