「入蒙」の版間の差分
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3月8日午後9時30分、洮南駅に到着した。〔{{rm|nm|13|洮南旅館}}〕 | 3月8日午後9時30分、洮南駅に到着した。〔{{rm|nm|13|洮南旅館}}〕 | ||
=== | === 洮南から索倫へ === | ||
3月25日早朝、[[王仁三郎]]は[[岡崎鉄首]]、[[植芝盛平]]、[[老印君]]、通訳の王と3台の轎車に分乗して[[洮南]]を出発。副官の[[温長興]]が数名の兵士と共に騎馬で前後を守った。 | 3月25日早朝、[[王仁三郎]]は[[岡崎鉄首]]、[[植芝盛平]]、[[老印君]]、通訳の王と3台の轎車に分乗して[[洮南]]を出発。副官の[[温長興]]が数名の兵士と共に騎馬で前後を守った。 | ||
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4月28日午前9時20分、王仁三郎一行は索倫の[[下木局子]]に到着。先発の盧占魁一行が出迎えた。〔{{rm|nm|20|春軍完備}}〕 | 4月28日午前9時20分、王仁三郎一行は索倫の[[下木局子]]に到着。先発の盧占魁一行が出迎えた。〔{{rm|nm|20|春軍完備}}〕 | ||
[[索倫山]]は[[興安嶺]]山脈の支脈であり、百里(400km)四方の地域を索倫と称している。ここは外蒙との連鎖点であった。盧占魁が大救世主を奉戴して蒙古救援軍を起こすというので、人々は大いに歓喜し、素晴らしい人気であった。蒙古の王や喇嘛、馬隊等が次々と噂を聞いて集まり、部下を率いて参加するので、瞬くうちに内外蒙古救援軍は編成された。盧占魁が軍に宛てた手紙によると、この時集まっていた兵員は5~600人であり、他に1千余人が数日以内に集まる予定だった。〔{{rm|nm|21|索倫本営}}〕 | |||
== 略年表 == | == 略年表 == | ||