「1月19日」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
[[ファイル:第67巻神仏無量寿経p78(初版).jpg|thumb|[[霊界物語]]{{rm|67|5|浪の皷}}に記されている「[[神仏無量寿経]]」の最後。大正15年(1926年)8月19日発行の'''初版'''の78頁。]]
[[ファイル:第67巻神仏無量寿経p78(再版).jpg|thumb|[[霊界物語]]{{rm|67|5|浪の皷}}に記されている「[[神仏無量寿経]]」の最後。昭和6年(1931年)7月15日発行の'''再版'''の78頁。]]
'''1月19日'''は、[[出口王仁三郎]]が昇天した日。昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)に昇天した。
'''1月19日'''は、[[出口王仁三郎]]が昇天した日。昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)に昇天した。


== 出来事 ==
== 出来事 ==
* [[霊界物語]]{{rm|67|5|浪の皷}}に記されている「[[神仏無量寿経]]」の中に「瑞霊世を去りて後」という文言があり、王仁三郎(瑞霊)の昇天を示唆している。その最後は'''78'''頁で「惟神霊幸倍坐世。伊都能売の大神 謹請再拝」という'''18'''文字で終わっている(句読点や空白を除く)。これは王仁三郎が数え年'''78'''歳<ref>王仁三郎は明治4年(1871年)7月12日生まれなので、数え年78歳で昇天したことになる。</ref>の'''18'''日まで現界にいて、19日目に霊界に去るという予言であると解されている。またその頁の最後の文字は「'''子'''」であるが、昇天した昭和23年は'''子'''年である。<ref>『新月の光』1284「七十八歳一月十九日昇天の啓示」…ここで木庭が見たのは「再版」だが、初版でも同じである。(画像参照)</ref> <ref>[[出口和明]]『[[予言と神話]]』p22</ref>
* [[霊界物語]]{{rm|67|5|浪の皷}}に記されている「[[神仏無量寿経]]」は、出口王仁三郎が自分が昇天する年月日を予言したものだと言われている。
* 「数運は天運と相合す」という[[壇訓]]は昭和13年(1938年)2月18日(旧'''1月19日''')に降りた。 →「[[数運]]」
* 「数運は天運と相合す」という[[壇訓]]は昭和13年(1938年)2月18日(旧'''1月19日''')に降りた。 →「[[数運]]」
* バグワン・シュリ・ラジニーシ(Osho)は平成2年(1990年)'''1月19日'''に帰幽した。
* バグワン・シュリ・ラジニーシ(Osho)は平成2年(1990年)'''1月19日'''に帰幽した。