「水茎文字」の版間の差分
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出口王仁三郎は昭和3年(1928年)5月8日、高知市内を流れる鏡川の川面に水茎文字が浮かんだということを日記に記している。〈朝起きて窓開け見れば雨しげく 鏡の川に水茎文字浮く〉<ref>『[[ふたな日記]]』26頁、{{ndldl|1086461/1/17}}</ref>。これは雨が降っていたのでそれによって波紋が描かれ、それを水茎文字に例えただけのようである。 | 出口王仁三郎は昭和3年(1928年)5月8日、高知市内を流れる鏡川の川面に水茎文字が浮かんだということを日記に記している。〈朝起きて窓開け見れば雨しげく 鏡の川に水茎文字浮く〉<ref>『[[ふたな日記]]』26頁、{{ndldl|1086461/1/17}}</ref>。これは雨が降っていたのでそれによって波紋が描かれ、それを水茎文字に例えただけのようである。 | ||
[[水茎文字]]はいつでも誰でも見えるものではない。また、見なくてはいけないようなものでもない。王仁三郎は次のように教えている。 | |||
{{inyou|琵琶湖に出る水茎文字を水茎の岡山から見るのは彼岸の中日であって、神界から使命のある人でないと竜宮から見せられぬ。王仁と大石凝先生だけが見たのであって、側にいても見えないのである。琵琶湖に見にゆくのが大変だから後では、金竜海(綾部大本神苑内)を造って見ていたのである。一つの証拠に見るだけであって一度見たら十年か十五年は見る必要はないのである。神代文字で自由に現われるから、これの判らないものは出ていても判らないのである。| 『[[新月の光]]』0614「水茎文字は神代文字」 }} | |||
== 水組木 == | == 水組木 == |