「浅野和三郎」の版間の差分
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【神秘現象との出会い】 | 【神秘現象との出会い】 | ||
明治の終わり頃<ref>『出廬』21頁に〈今の中島機関中将がまだ大佐級の時代であった〉と記されている。中島与曽八(最終階級は中将)が大佐だったのは明治38~45年なので、その頃のことだと思われる。</ref> | 明治の終わり頃<ref>『出廬』21頁に〈今の中島機関中将がまだ大佐級の時代であった〉と記されている。中島与曽八(最終階級は中将)が大佐だったのは明治38~45年なので、その頃のことだと思われる。</ref>、中島与曽八・海軍機関大佐<ref>{{wp|中島與曽八}}</ref>が家族や女中を被験者にして催眠術の実験をさかんに行っていた。浅野は実験を見学し、なぜ催眠現象が生じるのか疑問を抱くようになる。<ref>『出廬』21~25頁</ref> | ||
大正4年(1915年)春、三男の三郎が謎の発熱を起こす。体温は37度3~4分で、午前10時頃になると発熱し、日暮れには熱が下がる。そういう怪現象が連日続き、半年も続いた。10月初旬、妻が浅野に内証で行者に頼んで三郎の祈祷をしてもらったと告白をする。その行者は米ヶ浜祖師堂(横須賀市深田台にある竜本寺)の近くで「孝信教会」という看板を掲げている「石井ふゆ」という女行者で、通称「三峰山」と呼ばれており、祈祷がよく効き、透視もできるということだった。浅野は妻から告白され、そんな加持祈祷のような迷信に頼ることを不快に感じた。しかし妻に「調べていただけませんか」と頼まれ、三峰山に行ってみることにした。 | 大正4年(1915年)春、三男の三郎が謎の発熱を起こす。体温は37度3~4分で、午前10時頃になると発熱し、日暮れには熱が下がる。そういう怪現象が連日続き、半年も続いた。10月初旬、妻が浅野に内証で行者に頼んで三郎の祈祷をしてもらったと告白をする。その行者は米ヶ浜祖師堂(横須賀市深田台にある竜本寺)の近くで「孝信教会」という看板を掲げている「石井ふゆ」という女行者で、通称「三峰山」と呼ばれており、祈祷がよく効き、透視もできるということだった。浅野は妻から告白され、そんな加持祈祷のような迷信に頼ることを不快に感じた。しかし妻に「調べていただけませんか」と頼まれ、三峰山に行ってみることにした。 |