「たまほこのひ可里」の版間の差分
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佐藤は大本に入信して皇紀2600年(昭和15年)を待ったが、その前の昭和10年(1935年)に[[第二次大本事件]]が勃発し王仁三郎は収監されてしまった。佐藤も当局の家宅捜索を受け、経綸書を燃やせと命じられ、翌11年に止むを得ず焼却してしまった。 | 佐藤は大本に入信して皇紀2600年(昭和15年)を待ったが、その前の昭和10年(1935年)に[[第二次大本事件]]が勃発し王仁三郎は収監されてしまった。佐藤も当局の家宅捜索を受け、経綸書を燃やせと命じられ、翌11年に止むを得ず焼却してしまった。 | ||
昭和18年(1943年)佐藤は西田の家で『たまほこのひ可里』を口述し、8月25日に完成した。(昭和21年3月2日、佐藤紋次郎帰幽) | |||
== 王仁三郎の対応 == | == 王仁三郎の対応 == |