「田村月樵」の版間の差分
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== 経歴が記されている資料 == | == 経歴が記されている資料 == | ||
田村月樵の父母や幼少期については諸説ある。 | |||
https://dl.ndl.go.jp/pid/778769/1/82 | |||
本人の談「元私の生国は丹波の園部近在で厶いまして、父は名を式部と云ひ、公卿の中山家に仕へて居りました。夫で私は三歳の時京都に参り、此方で生長致し、其後亀岡、其頃は亀山と申しましたがそこへ参り、十歳の時まで居りました」「元治元年の五月、私は十九歳の時父は歿しまして(略)」 | |||
https://dl.ndl.go.jp/pid/933863/1/502 | https://dl.ndl.go.jp/pid/933863/1/502 | ||
「弘化三年八月二十日丹波国園部に生る、田村式部氏の長男」 | 「弘化三年八月二十日丹波国園部に生る、田村式部氏の長男」 | ||
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https://dl.ndl.go.jp/pid/3451915/1/178 | https://dl.ndl.go.jp/pid/3451915/1/178 | ||
「南桑田郡柏原の人、父の源仲は孝子文右衛門の孝に感じ施薬した医師である。父の死後、母もよは月樵を連れて篠村王子の神官栗山右近の後妻となつた。月樵は十歳となつてその家庭の人となるを忌み、入洛して(略)」<ref>「柏原」は現在の亀岡市篠町の一部。明治22年(1889年)に桑田郡の篠村や柏原村などが合併し、新たに南桑田郡篠村が誕生した。</ref> <ref>「孝子」は、親孝行な子の意。</ref> | 「南桑田郡柏原の人、父の源仲は孝子文右衛門の孝に感じ施薬した医師である。父の死後、母もよは月樵を連れて篠村王子の神官栗山右近の後妻となつた。月樵は十歳となつてその家庭の人となるを忌み、入洛して(略)」<ref>「柏原」は現在の亀岡市篠町の一部。明治22年(1889年)に桑田郡の篠村や柏原村などが合併し、新たに南桑田郡篠村が誕生した。</ref> <ref>「孝子」は、親孝行な子の意。</ref> | ||
https://dl.ndl.go.jp/pid/936721/1/190 | https://dl.ndl.go.jp/pid/936721/1/190 | ||