「出口王仁三郎」の版間の差分
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== 高熊山修業以降 == | == 高熊山修業以降 == | ||
=== 「王仁三郎」の名の由来 === | |||
まだ亀岡で幽斎研究を続けていた頃、ひそかに出修に行けという神示が降りた。そこで友人の斎藤だけに話して、母には心配しないように書き置きを残して出かけた。このとき書き置きに、ふと「鬼三郎(きさぶろう)」と署名した。後に綾部に来てからナオの筆先で「おにさぶろう」と命名されので、「王仁三郎」と名乗るようになった。<ref>『大本七十年史 上』P156-157</ref> | |||
戸籍上、正式に「出口王仁三郎」になったのは明治43年(1910年)の暮れである。 | |||
== 第一次大本事件以降 == | == 第一次大本事件以降 == | ||
== 第二次大本事件以降 == | == 第二次大本事件以降 == | ||