「比沼麻奈為神社」の版間の差分

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== 宮司 ==
== 宮司 ==
 
* [[新月の光]]』によると王仁三郎は、杉庵思軒(山口志道)は比沼真奈井の神官を務めたことがあると語っていた<ref>『[[新月の光]]』0633「杉庵思軒と中村孝道」(昭和18年の発言):「杉庵思軒は信州の皆神山から方々を廻って、比沼真奈井の神官になった人である」</ref>。(ただしこれは王仁三郎の誤解だという指摘がある<ref>[[大本言霊学]]』(八幡書店)p242で大宮司朗が「王仁三郎が「杉庵思軒は信州の皆神山から方々を廻って、比沼真奈井の神官になった人である」(昭和十八年)と誤ったことをいっている」と指摘している。</ref>
* [[杉庵思軒]](『[[水穂伝]]』の著者である[[山口志道]]のこと)が宮司を務めていた。<ref>[[新月の光]]0633「杉庵思軒と中村孝道」:「杉庵思軒は信州の皆神山から方々を廻って、比沼真奈井の神宮司になった人である」</ref>
* [[王仁三郎]]の実弟(上田家の三男)の[[上田幸吉]]が、大正4年(1915年)から昭和13年(1938年)まで24年間、宮司を務めていた。下の引用文を参照。
* [[王仁三郎]]の実弟(上田家の三男)の[[上田幸吉]]が、大正4年(1915年)から昭和13年(1938年)まで24年間、宮司を務めていた。下の引用文を参照。