「狭野の島」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
| 4行目: | 4行目: | ||
* 旧名:'''魔の島'''(まのしま)({{rm|77|4|狭野の島生み}}で狭野の島に改名される)(魔島とも) | * 旧名:'''魔の島'''(まのしま)({{rm|77|4|狭野の島生み}}で狭野の島に改名される)(魔島とも) | ||
* 別名:'''[[狭野の食国]]'''(さぬのおすくに)<ref>「狭野の食国」という呼び方は{{rm|77|3|狭野の食国}}と{{rms|77|5|言霊生島}}だけに出る。</ref> | * 別名:'''[[狭野の食国]]'''(さぬのおすくに)<ref>「狭野の食国」という呼び方は{{rm|77|3|狭野の食国}}と{{rms|77|5|言霊生島}}だけに出る。</ref> | ||
* 食国(おすくに)とは「天皇のお治めになる国」〔広辞苑〕という意味。 | |||
* 初出:{{rm|77|3|狭野の食国}}(魔の島)、{{rm|77|4|狭野の島生み}}(狭野の島) | * 初出:{{rm|77|3|狭野の食国}}(魔の島)、{{rm|77|4|狭野の島生み}}(狭野の島) | ||
| 12行目: | 13行目: | ||
朝香比女の神は魔の島を「狭野の島」と改め、天中比古の神と狭野彦を島に残し、他4柱の神々と共に[[万里の海]]を南へと進んで行った。〔{{rm|77|4|狭野の島生み}}〕 | 朝香比女の神は魔の島を「狭野の島」と改め、天中比古の神と狭野彦を島に残し、他4柱の神々と共に[[万里の海]]を南へと進んで行った。〔{{rm|77|4|狭野の島生み}}〕 | ||
== その他 == | |||
日本書紀で「狭野尊(さののみこと)」は神武天皇の幼名である。巻二の最後、一書(第一)に「先づ彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生みたまふ。次に稲飯命(いなひのみこと)。次に三毛入野命(みけいりののみこと)。次に'''狭野尊'''(さののみこと)。亦は神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)と号(まう)す。狭野と所称(まう)すは、是、年少(みとしわか)くまします時の号(みな)なり」<ref>坂本太郎他校注『日本書紀(一)』岩波書店、1994年、p194</ref>とある。 | |||
== 脚注 == | == 脚注 == | ||