「大正日日新聞社」の版間の差分
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しかし多額の債務が残った。社債49万9400円と借入金13万9619円である。大正10年(1921年)11月の会議の報告によると、本部の毎月の経常費は一ヶ月平均、支出が5310円、収入が2120円で、毎月3190円の赤字を出していた<ref>国家公務員初任給(大卒、総合職)で物価を比較すると、大正10年(1921年)が40~50円、令和8年(2026年)が約24万円なので、約5000~6000倍になる。3190円というのは現在の貨幣価値だと約1600~1900万円ということになる。</ref>。そのような状況下での債務返済は困難であり、債権者から提訴され、聖地の土地・建物の差し押さえの危機にも遭ったが、信者の献金や出口家の財産の処分などで、巨額の債務問題は何とか落着した。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4443|債務の整理}}」</ref> | しかし多額の債務が残った。社債49万9400円と借入金13万9619円である。大正10年(1921年)11月の会議の報告によると、本部の毎月の経常費は一ヶ月平均、支出が5310円、収入が2120円で、毎月3190円の赤字を出していた<ref>国家公務員初任給(大卒、総合職)で物価を比較すると、大正10年(1921年)が40~50円、令和8年(2026年)が約24万円なので、約5000~6000倍になる。3190円というのは現在の貨幣価値だと約1600~1900万円ということになる。</ref>。そのような状況下での債務返済は困難であり、債権者から提訴され、聖地の土地・建物の差し押さえの危機にも遭ったが、信者の献金や出口家の財産の処分などで、巨額の債務問題は何とか落着した。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4443|債務の整理}}」</ref> | ||
【その後】 | '''【その後】''' | ||
大正日日新聞社は大正11年7月15日<ref name="t110713" />に[[床次正広]]に譲られ、大本による直接経営は終わった。しかし会社の所有権は王仁三郎が持っていたようである。床次は半年ほどで経営を投げ出した<ref>『[[壬申日記]] 4の巻』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1137801/1/85?keyword=%E5%BA%8A%E6%AC%A1%E6%AD%A3%E5%BA%83 141頁]、[https://dl.ndl.go.jp/pid/1137801/1/119?keyword=%E5%BA%8A%E6%AC%A1%E6%AD%A3%E5%BA%83 196頁]</ref>。 | 大正日日新聞社は大正11年7月15日<ref name="t110713" />に[[床次正広]]に譲られ、大本による直接経営は終わった。しかし会社の所有権は王仁三郎が持っていたようである。床次は半年ほどで経営を投げ出した<ref>『[[壬申日記]] 4の巻』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1137801/1/85?keyword=%E5%BA%8A%E6%AC%A1%E6%AD%A3%E5%BA%83 141頁]、[https://dl.ndl.go.jp/pid/1137801/1/119?keyword=%E5%BA%8A%E6%AC%A1%E6%AD%A3%E5%BA%83 196頁]</ref>。 | ||